こちらには、古レールを調べながら見たこと、感じたことを雑記的(日記的)に書いていこうと思います。
おもてのページは、おもいっきり、真面目に徹してしまいましたので、ここは、息抜きのようなものだと思ってください(最近は闘病日記と仕事の愚痴ばかり?)。反面、おもてのページに反映しきれない最新情報が埋もれている可能性もあります。が、1ヶ月分くらい溜め込んでは、時間を逆登って書くことが多くなってしまっており、ほとんど夏休みの日記状態です (^_^;>。 各リンクについては、雑記という性格上、古いものを修正していくつもりはありませんので、リンク切れがあるかもしれません。あらかじめ、ご了承ください。 |
父には、大変喜んでもらえました。ちゃんと米原機関区の「米」の区名札が入っているのを見て、また感激。父によると、最初に乗務(釜炊きとして)した機関車だそうで、ボイラが非常に暑かったと思い出を語っていました。ちなみに調べると、E10のボイラはD52と同じらしいです。
1/4追伸 父はとっても嬉しかったようで、線路のほうはガラス戸棚内での保管を考えて作ったのですが、正月の間中、テレビの上の一等席をE10が占拠していました。
蛇足 近年は帰省の移動を利用して東海道本線の古レールを調査しているので、E10の購入時には、これの運搬と古レール調をどう両立させよう?なんて悩みましたが、結局ど〜んと700系ロザ利用でしたので、杞憂に終わりました。
お盆と年末は、スケジュールが合えば(大抵は、帰省していて行けない)、コミックマーケットに出かけて、鉄道関係の同人誌を漁っています。今年は在京していますので、出かけるつもりでたいたのですが、十分な体力が無い上に、お目当てのサークルの一つが出店に落選しているようなので、結局うちで寝てました。
帰省は、31日の夕方に出発する予定です。31日のテレビって紅白歌合戦も含めて、私の琴線に触れない番組が多いので、この時間帯を移動に割り当てることにより時間を有効利用しようというわけです。混雑も一段落している時間帯でもあるので、一石二鳥です。
03/12/31追記(1) 紅白と言えば、「AMBITIOUS JAPAN !」と「いい日旅立ち・西へ」のJR対決があったようですね。
03/12/31追記(2) 「AMBITIOUS JAPAN !」と言えば、新幹線のオルゴールが、この曲に変更になっています。でも、抜粋箇所と編曲がイマイチに思います。
04/01/02追記 両親と温泉ドライブに出かけ、舞鶴〜小浜と回りましたので、ちょっと無理言って小浜線の駅にいくつか立ち寄らせてもらいました。小浜線は完集となりました。
記憶が消えていたというのは、まず自分の住所が思い出せなかったことで気が付いたのですが、会社の近所の飯屋の場所など、ここ数年獲得した記憶(住所が書けなかったのは、ここ2年で市名が変わり区名が付け加わったため ?)が、ごそっと抜け落ちていました。衝撃的な体験により、記憶喪失になることが、あるらしいですが、北海道出張は確かに厳しい体験の連続でした。ここ数年の記憶が消えていた。 4年ほど大事に育てていた部屋の観用植物2鉢が水不足で枯れていた。 仲の良かった女の子が、同僚と結婚していた。 私の鉄道趣味の土台だった @nifty の鉄道フォーラムにアクセスできなくなった。 水道が止められる寸前だった(上下水道の契約方法が大家さんの都合で変更になっていて、料金未納になっていた)。 ガスが止められる寸前だった(安全点検が未実施だったため)。 ......、他にもあったような......。でも、考えたくない。
そう言えば2003年は、年初よりいろいろなものが私の手の中から消えていった一年でした。毎年、年末になると、その年を振り返ったりしていますが、今年はもう振り返らずに2004年を迎えたいと思います。
2004年4月追記:彼女の結婚は、あまりに突然で周囲を驚かしたようですが、その理由の一つに相手が私でなかったことを挙げる人もいるようです。そう言ってもらえると、気の助けにはなります。
この日、用事で銀座に行った(※)ついでに、天賞堂の中古テナント(EverGreen)に立ち寄ったところ、売っているじゃ有りませんか(もう新品は入手できないんだ。ごめん>父)、E10。しかも3両。ということで、ようやく入手できました。お正月休みに帰省した時に、遅くなりましたが手渡せそうです。
私は鉄道模型には全く疎いのですが、1/87(HO)程度のスケール(1,435mmゲージの場合)の模型には、挟軌(1,067mmゲージ)を再現する関係で、16.5mm(縮尺を優先)と12mmゲージ(忠実に再現)などがあり、ややこしいことは知っていました。そこで、私が模型に疎いことと、模型を入手する理由を説明したところ、天賞堂の店員さんには、懇切丁寧に応対していただきました。ありがとうございました。
−−購入したのは、1/80, 16.5mm のいわゆるJスケールのE10。
※ 画材店に古レールの拓本採りに使用する用紙(青六疋という中国紙)を探しに行った。系列の京都店には売ってあるとのことだが、銀座店には無かった (^_^;。せっかくなので、天賞堂に立ち寄ってみた次第。
ところがここへ来て、作業の遅れが原因でいろいろ問題が発生し、客先からお叱りを受けました(自然が相手ですから、しょうがないのです)。このトラブルを解決するために、むずがる会社の上司(こっちからも叱られる)に連絡を取ったり苦労しました。
そんなこんなで、もう心身ともボロボロです。会社の方から私が処理する予定の仕事が溜まっているらしい情報が流れてきたり、もともとの約束が短期だったことや、一緒に仕事を受け持っている年上の人が「後半は任せろと」以前に豪語していたことなどを考えて、その人に帰してもらうように嘆願しました。上記のようなトラブルもあったばかりでバツも悪かったのですが、何とか帰れることになりました。
ということで、12日に帰還となりましたが、本当にボロボロです。北海道に居たのは結局1ヶ月半でしたが、うちに帰ったら1ヶ月くらいは寝込んでしまいそうです。
そこで、宗谷岬に行ってきました。本当は、2日に来たかったのですが、寄り道が過ぎて飛行機の時間に間に合わなさそうでしたので、後回しにしていました。
幸い、今日は天候も良く、海の向こうに山らしき凸凹が見えましたが、どうも樺太(サハリン)のようです。南樺太は、日露戦争後〜戦中に日本領となっていた関係で、島内の鉄道の軌間は日本と同じ1,067mm,日本本土から持ち込まれた鉄道車両が多数あることが知られていますが、きっとレールも多数渡っていることでしょう。沿線で調べると、日本(特に北海道)で見られたレールと同銘のレールが見つかるはずです。
たまたま帰京のタイミングと合って、自宅でTV中継を見ることができました。もし出張中だと、携帯の電波が通じなくなってから、更に1時間ほど山奥に入ったところに居たはずですから、リアルタイムで試合を見ることはできなかったはずです。
ナビスコ・カップはJリーグのリーグ戦とは別に行なわれ、予選とトーナメントの本戦によりカップが争われます。浦和レッズの決勝戦の相手は鹿島アントラーズでした。アントラーズは、ナビスコ・カップ,天皇杯(アマチュアチームも参加するサッカー選手権)とも、レッズのトーナメント進攻を阻むことが多く、天敵とも言って良い存在でした。
しかし今日の試合は、レッズのワンサイド的なゲームになってしまい、優勝できるのか?というハラハラ感には欠けていました。勝つべくして勝ったようなところがあって、大きな感動はありませんでした。まだ、J2復帰を決めた時の試合(2000年11月)の時の方が、ドラマチックであったように思います。
レッズJ2復帰決定の時は、感極まって扉写真を特別版にしましたが、今回は余力も時間も無いので、特別版は作りませんので、あしからず。
追伸 今日のスポーツニュースは、今年日本シリーズを制したホークスの有力選手が、人気一番のセリーグのチームに移籍することが発表され、それで埋め尽くされていた。ナビスコ・カップのニュースは、ほとんど無視され、私は非常に憤慨している。
飛行機の時間は昼過ぎですが、宿は7時には出発できてしまいます。稚内空港まではカーナビで3時間もかからないことがわかっていましたから、空き時間は「観光」することとします。まず、宗谷本線幌延駅に出て、稚内まで各駅の古レール調査です。
それから、豊富温泉に入ってきました。私は古レールをはじめる前は、出張先での空き時間潰しとして、立ち寄り湯を楽しんでいました。今回もせっかくですので、立ち寄り湯。
豊富温泉は、たいへん強烈でした。かつて新潟県新津の新津温泉が、@nifty
の会議室で話題となり、私も訪問しましたが、あそこは、石油臭いお湯。豊富温泉は石油そのものとしか言えない泉質でした。わたし的には、ゲテもの好きですから、お気に入りの温泉の一つとしましょう。
さて稚内駅ですが、昼前にようやく到着しました。稚内駅は鉄道最北端の駅ですが、それとともに紹介されるホームの写真には、大抵、古レール利用のホーム上屋が写っていて、ずっと気になっていました。今回は、嫌ほど堪能させられていますけど、私の人生の中では北海道には縁が薄かったので、稚内駅に到達することは無いとあきらめていましたが、到達できました。古レールは単独銘のようでしたが、北海道に縁のあるレールでした。
上屋支柱(大半は木製)に貼られている全国各地の駅までの距離を見ていて、佐世保線三川内駅(現状で最遠駅)の菅営八幡製鉄所1902年製レールを思い浮かべたりして、感慨にもふけりました。
それにしても、自動車から眺めることとなりましたが、宗谷本線って景色の良いところを通っているのね。次は、列車(できれば普通列車)に乗って堪能してみたいです。
この北海道出張は、当初1週間の約束でしたが、結局20日間の滞在となりました。しかも、予想に反して辛いのなんのって。
現場が山林内なので、ヒグマ護衛のハンターを帯同しており、単独行動ができません。そこで、作業員に合わせて毎朝7時前には出発し(起床は5時半)、日暮れまで現場作業となります。帰ってきてからは、一日の作業結果の整理があります。私がトップバッターで現地入りしたので準備作業も多数あり、室内作業が終わるのは0時を過ぎることも少なくありません。睡眠時間(5時間半)以外は働きづめです。積雪が迫っていることと人件費圧縮から、休日無しの連日作業となっている点も辛いです(作業員さんたちも、ボロボロ。労務管理は問題多しです)。更に客先の担当者が気難しい人で、対応に神経を使う必要があったことは、泣きっ面に蜂でした。
そんなこんなで、心身ともにポロポロです。体調の回復どころか、更なる悪化を招いてしまっています。一旦帰京できたものの、26日朝には再び現場目指して出かけなければいけないので、悲しいです。
ところで、この羽幌線沿線の町や集落には、駅前通りの雰囲気の道が残っています。内地だと、鉄道の廃止の後に線路跡を越えて道路が建設され、駅前通りや線路跡がよくわからなくなってしまうことが多いのですが、かつての駅のところで元の駅前通りが、ぷつっと切れたままになっていることが多く、さすが北海道だなぁと感じています。
仕事の目的はボーリング調査の現場監督で、総じて言うと、この手の仕事は「楽」であることが多いので、体調(ここのところ好調です)の一気回復も狙って引き受けることにしました(7月9日の出張とは別件です)。
期間は、当初は1週間〜10日程度のピンチヒッターと聞いていたのですが、出発時には2週間程度が数回で、11月末まで数回出向くことになりそうだと、話が拡大しているのが気がかりです。
27〜28日に中央線の高架化工事に伴う線路付替え工事が行なわれました。この工事では、保安装置の配線ミスが多数あり、28日朝に終わるはずが昼過ぎまでかかってしまう大失態となったようです。
この大失態(事故)が、翌日の朝のワイドショーで取り上げられているのを見たのですが、出演者が「(保安装置を)無視してでも通せばいいのに」みたいなコメントをしていたのを聞いて驚きました。事故さえ起こされなければ、多少法規から外れたことも許されている感のある自動車との違いがよくわかっていないようです。このコメンテーターは各駅停車や普通列車のような庶民の乗り物(新幹線には乗るだろうが......)とは無縁そうです(毒)。
27日には、某国の首相が「民営化したからといっても、郵便局がなくなるんじゃないかと心配する人もいますが、国鉄だってJRになって鉄道はなくなっていないでしょう」なんて発言していたそうです。深名線は在りますか?、可部から先の可部線は残っていますか?、美祢線の大美祢支線は在りますか?。国鉄の民営化に併せるように廃止された沢山の特定地方交通線は残っていますか?(※)。この時国鉄民営化の際、第3セクター化して残した鉄道にしても、既に廃止されたり、経営の継続が困難になってしまった路線が少ないのも事実です。国鉄の民営化やJRになった後に、鉄道が無くなってしまった場所があることを、この首相は知らないのでしょう。テレビのコメンテーター同様に、各駅停車や普通列車のような庶民の乗り物とは無縁に見えます。
※ 「見つからないからと言って無いとは限らない」って反論されたりして (^_^;。
「鉄道フォーラム」は、TTY 方式の「パソコン通信」方式で運用されていましたが、10月からウェブ方式に変更するそうです。ブラウザで閲覧することが可能ですから、読むことに関しては敷居は下がることでしょう。しかしながら書き込みに関しては、多環境に対応した多数ある専用ソフトを利用すれば、さらに便利にアクセスができていましたので、従来の
TTY 方式の方が利が多かったと思います(「2ちゃんねる」みたいな数行程度の書き込みなら、ブラウザでも十分でしょうけど......)。
ウェブ方式のフォーラムでも、TTY 方式同様に専用ソフトがあり、似た感覚でアクセスすることが可能なようですが、対応
OS が Windows 98 以上(Windows 95 に対応したソフトも無くはない)となっています。私は、Microsoft
社の姿勢に疑問を感じているため、同社の Widows を原則として使用していません。私のパソコンで実用しているのは、OS/2
と Linux (→ リンク集)ですが、ウェブをブラウザしたり、ウェブページを作ったり、あるいはパソコン通信を行なうには、これで全く不自由していなかったのも、Windows
の環境整備をしていなかった理由の一つです。
そんなことで、私のパソコンにウェブ方式対応のソフトをインストールする前に、Windows
の環境整備(OS,お気に入りの日本語変換ソフト,必要最低限なユーティリティーなどのインストール)を一から行なう必要があります。ウェブ方式のフォーラムに対応させることは一朝一夕には不可能です。
フォーラムのウェブ化は半年以上前からアナウンスされていましたが、仕事の多忙や体調不良から、準備ができず、9月を迎えてしまいました。9月の間、フォーラムのアクセス(読み書き)を休止すれば移行は可能だったかもしれませんが、止めました。今まで通りの私の発言スタイルと頻度を維持することにしたからです。また、Web
化を前に関東で多数のオフが開催されましたので、それに積極的に参加しました(グリーン車オフ,貨物見学オフ)。
鉄道路線の廃止が近づくと、全国から鉄道ファンが多数押し寄せる現象がありますが、私はあれには反感を持っています。鉄道路線の廃止は、いつもの利用者と風景の中で行なわれるべきだと考えています。鉄道フォーラムのウェブ化にあたっては、その哲学を貫こうという訳です。
という訳で、私はウェブ化後の鉄道フォーラムには参加できません。古レールの話題の展開場所として鉄道フォーラムを案内してきましたが、私は当面、フォローできませんので、あしからず。
今年の夏休みは土日の関係でショボイこともあり、特急は混雑が予想されたので、これまた久しぶりの中央東線の鈍行旅としました。青春18切符では元が取れるほど利用できる見込が無かったので、普通乗車券での旅としました(ある意味、贅沢)。
高尾駅では、中距離電車への乗り換えの間に、ちょっと古レールを眺めている間に、乗車予定の列車に乗り遅れてしまいました。どうも、休日ダイヤと平日ダイヤを間違えて、待ち時間の計算を誤ったのが原因のようです。一本後の列車に乗ったのですが、高尾には古レールが多く、ここでの観察は中途半端に終わってしまいました。まぁ、近いからいいか。
次の古レール観察は、小淵沢になってしまいました。いくつかの駅で古レールを見る予定でしたが、高尾での乗り送れの影響で、余裕が無くなってしまったからです。高尾なぞ、後回しにしておくべきでした。その小淵沢では小海線ホームで、なんと
DARLINGTON
IRON の平底レールを発見。見つけたのが普通列車の発車時刻近くで、またもや予定が狂うことに......。珍しい
DARLINGTON だったから許しましょう。
ところがタイミングが悪く、今日は諏訪湖の大花火大会で中央線のホームは大混雑*1な上に、花火大会の臨時列車(201系だった)も含めて次の普通列車までは1時間程度空いていましたので、ここは特急「あずさ」をワンポイント・リリーフとしました。普通乗車券での利用が、ここでは吉と出ました。
「あずさ」を下車して、飯田線の普通列車に乗り替える間に、岡谷駅の古レールもちょっと見れました。予定は狂いまくりましたが、楽しめた一日だったと思います。
*1 観光バスでパーク&ライドの客が沢山、ここに八ヶ岳方面の観光客も加わって更に大変
追記:今年のお盆休みは、この日と、滋賀県内の北陸本線の駅のうち、唯一未調査だった長浜駅の調査で終わりでした。
今回は、その知人の紹介で、茨城県に住む古レール研究家と知り合いになることができました。私の及ばないデータを大量に持っておられ、いろいろと交流できました。
西武鉄道は古レールがよく残っていますし、珍品も多いので、オフのついでにいろいろと見て回りました。なかでも、椎名町駅にあった
THYSSEN と推定していた古レールについて、見たことのない記述内容のレールではないかという疑惑が発覚したことは大きな成果でしょう。
今回は、西武鉄道の趣味的研究の第一人者とも言える方も参加しており、非常に内容の濃いオフ会となりました。鉄道趣味の奥深さを再認識した1日でもありました。
8月11日追記:件のレールについて、翌日会社の帰りに再確認したところ、TREB(Terres Rouges)と判明しました。TREB のレールは、ルクセンブルクの鉄鋼販売会社の COLUMETA を通じての販路が大きかったらしく、単独銘のレールはかなり珍しいと言えるでしょう。
試験は小論文を多数書く形式の出題が多く、頭で論理的な文章を考えるのと同時に文字を書くことを丸一日続けなければいけません。そのため体力的消耗も激しく、私のように体調を壊しているものにとっては、別の厳しさも求められる試験です。もし試験に耐えたとしても、その後のダメージも懸念されます。受験回避を繰り返してしまったのは、これも理由でした。
今回も、体調は良くないし仕事も忙しくて十分な受験勉強ができていなかったので、受験するかどうかは前夜まで悩みました。結局、受験しないと会社からネチネチ言われるし(技術士の人数は仕事の受注に影響がある)、受験しなかったことが精神的ストレスになってしまっている感もあるので、落ちてもいいから程度の軽い気分で受けてみることにしました。
とは言え今回は、金曜日(前々日)から会社を休んで試験に望みました。本当は、この日から試験勉強をするつもりでしたが、ほとんどが体調調整(要するに寝ること)に費やされました。その甲斐あってか、当日の体調は抜群で、試験は実力以上のものが発揮できたと思っています。ただし、出題の意図が図りかねる問題がいくつかあって、これは自信無いです。合否は微妙でしょう。
#出題の意図がわからない私が未熟なのか、それとも単純に出題の仕方が悪いのか....
それにしても、試験後の晴れ晴れとした気分は久しぶりのものでした。しばらく、まず試験勉強をしなければというプレッシャーから、他のことに時間をかける気分になれなかった上に、体調の悪さから寝込んでいることが多かったので、「さぁ、いろいろ余暇を満喫するぞっ!」と言えば今の気分を表現できているでしょうか。
ここのところ外に出る時間も体力も無いので、インターネットの検索エンジンを利用して、古レールの各メーカーの所在地や略沿革を調べています。調べた所在地は、世界地図で確認しています。米国のレール・メーカーの所在地を確認していて見つけました、デトロイト。米国の工業地帯は五大湖沿岸に広がっていますので、鉄鋼会社も弟のいる機械メーカーも同じ地図に乗っていることになりますね。
古レールの話題に戻りますが、インターネットで調べていると、マイナーな製鉄会社の方が役に立つ情報に辿り付き易いようです。大きな製鉄会社だと、関連するモノが多数あり、勤務先まで書いてある家系図から、労働組合のウェブページまで出てきて、いろいろ検索語を工夫しているのですが、欲しい情報を得るのに難儀させられています。
また、英国のレール・メーカーの歴史を調べていると、産業革命とか、近代的な諸社会システムの確立など、教科書に乗っているような事項の詳細な情報に多数接することになり、刺激的でした。
8月15日追記:日本ではお盆休みの、この日、合衆国東部で大停電が発生していることをニュースで知りました。地理関係がよくわかっていたので、停電が発生した範囲に日本列島がちょうど入ってしまうことや、停電範囲にデトロイトが含まれていることなど、すぐに気が付きました。
8月20日追記:弟のところも停電に巻き込まれて大変だったようです。助けを求めるメールが私(自宅)のメールアドレスに届いていました。しかし、その頃の私は車中(駅中?)の人だったのですね。
#10/26 確認:千歳線美々駅,植苗駅には、ホーム上屋も跨線橋もなし。
しかし、この日は実についていませんでした。以下、長文。
第1の悲劇は、羽田空港までの往路での乗り換え失敗です。インターネットの乗り替え案内サービスで、武蔵浦和−大崎−品川−羽田空港と埼京線、山手線、京急線を乗り継いでの行程を調べていました。ところが、大崎駅の乗り換えでいきなり失敗。ラッシュ時のホーム混雑で、指示時間内には跨線橋の階段にすら到達できませんでした。乗り換え失敗は思わぬ所要時間を要することが多く、危険な事態でした。りんかい線の列車があったことから、天王州アイルから本数の多い東京モノレールを利用するルートに急遽変更して、羽田空港へと向かいました。幸い、搭乗時間にぎりぎり間に合いました。
せっかく、冷や汗をかいて搭乗した飛行機ですが、これが出発遅れになります。定時だと、ちょうどいい時間に新千歳空港駅からの快速があったはずなのですが、タッチの差で乗れませんでした。次の快速までは時間が空いていました。事前に会社の札幌支店で打ち合せるという話しだったのですが、この時間が無くなってしまいました。第2の悲劇です。
客先での打ち合わせは、順調に終わりました。札幌支店に戻ってきて若干休憩したあと、「それでは帰ります」と挨拶したところ、「これから予定している打合せをすっぽかすつもりか」と支店の人に叱られてしまいました。私には聞かされていなかった予定なので責任を問われても困るのですが、そう言われては帰るわけもいかず、打合せに参加することにしました。この打合せが長かった (x_x)。古レールを見る予定だった時間を潰し、さらには予定していた飛行機も飛んでいってしまいました。第3の悲劇です。
となると、今日中の帰京が困難になってきます。携帯電話から飛行機を予約することにしました。とりあえず、ANA
の乗れそうな便は予約しました。JAL/JAS の方は、30分早い便があり本命でした。ところが
JAL/JAS の4月の経営統合以降、予約サイトをブックマークしていなかったので、これを探すことから始めましたが、なかなか見つからず苦労しました。結局、快速エアポートのデッキで延々苦労して予約を取りました。
ここまでの悲劇から、嫌な予感がしていたのですが....。JAL のカウンターに行くと到着便遅れのため、出発25分遅れの予定とのことで、第4の悲劇発生です。これでは
ANA と5分しか時間が変わらないことになります。結局、マイレージの蓄積量の少なかった
ANA で帰りました。
この選択はさらなる第5の悲劇を産みます。羽田からの帰路はリムジンバスを愛用しているのですが、タッチの差で乗り遅れました。5分早い JAL/JAS であれば間にあったはずでした。
結局、最終のリムジンバスで大宮へ、大宮からは最終の上り電車に乗車となってしまいました。長い一日でした。邪念が過ぎたという気もしなくは無いですが.....。
ここのところ、仕事が忙しいです。勤務時間は、それほど長くはないのですが、あいかわらず体調が良いわけではないので、余暇の時間(土・日を含む)のすべてを横になることに費やしてしまっています。今から思い出せば、最初に体調を大きく崩したのもこの季節ですし、昨年もこの季節はボロボロでした(別の病気で入院直前の体調でしたが....)。どうも鬼門のようです。
さらに泣きっ面に蜂なのが、仕事の進行が遅い・計画性が無いと上司にクレームをつけられ、毎日の仕事の進行量を管理(チェック)されるようになってしまったことです。これまでは、体調に併せて無理をしないように仕事を進めていたのですが、体調の良し悪しにかかわらず一定量の仕事ができていなければ、説教が待っているという状態になってしまいました。
したがって残業時間(給与外労働)も延びますし、無理をするしストレスも大きいので持病のメニエール病も進行気味です。辛いですが、しばらくは我慢するしかないようです。
ということで、しばらく古レールの方は、お休みです。
とはいえ、帰省だけが目的ではなくて、出張の帰り道です。6日(金)に四国への出張で、行きに半日、帰りに半日、現場での作業が半日〜1日分の行程(足せば1.5〜2日)だったのですが、予算の関係で上司からは宿泊を禁じられ、日帰りするように釘をさされていました(始発電車に乗り飛行機の初便で行って、最終便で帰れば不可能ではない)。
現場までは飛行機+レンタカーで行っても30分しか差がなく、飛行機の離陸遅延は30分程度であることが多いことから、この差は相殺されます。そこで、鉄道利用を愛用しています。また、行程が厳しいことから、帰路の途中にある実家に泊まってしまうことにしました(旅費清算はあくまで日帰り)。これにより、現地滞在時間も延びますから、現地作業時間にも助長性が確保できるわけです。
さて帰省のほうですが、やっぱり実家はいいですねぇ。ここのところ持病の調子が悪く、伏せぎがちだったのですが、帰省している間はとっても元気でした。両親としゃべったのが良かったのかもしれません。普段ひとり暮らしをしていると話し相手はいませんし、会社でも私語が多いと注意されていて、仕事関係以外は話さないようにしていますので、本当にしゃべることが少ないですから。
その元気ついでに、北陸本線田村駅の古レールを見てきました。かつては、交直電化を橋渡しするDLと交流ELの機関車交換で賑わいのあった駅ですが、それだけに古レールを利用した上屋などが意外に多数あります。なかでも、不明瞭なものが多い CAMBRIA STEEL の美品が確認できたのは、大きな成果でしょう。
というのも5月は熱を出したり、持病が優れなかったりと体調が最悪で、それどころでは無かったからです。会社の方も、土・日の2日にプラスして週に1〜2日は休んでいましたので、稼動率50%という低水準の勤務状況でした。
ところで最近、私の父母がインターネットに接続できたようで、喜びのメールなどももらいました。勢い余ったようで、親戚一同に私の「古レールのページ」のことを自慢してまわったようで、叔父の皆様からメールを頂きました。しかし私の方は上記のような状態で、返信する余裕がありません。肉親からのメールなだけに邪険にも扱えず困っているのが実態です。
ということで、返信が遅れている皆様、事情を御理解頂ければと思います。
追伸:私はホームページを持っているという事実を、自らは友人にもほとんど知らせていません。「恥ずかしい」というのが、その理由からです。それだけに両親に宣伝されてしまうとは予想外の事態でした。
熱以外の症状はインフルエンザに似ている感じです。そして、38度を超える高熱とくれば、ここのところ世間を賑わしている
SARS に症状は似ています。幸か不幸か GW は、ほとんど外出していませんでしたし、東南アジア等に海外旅行に出かけた知人もいないので、医者の診断も「風邪」でした(一応、海外旅行しなかったか?という問診を受けた)。
肺炎に感染していた台湾人医師を乗せた観光バスの運転手(SARS ではなかった)も高熱を出していましたが、病院にも同様の高熱の人が散見されました。日本では
SARS よりも強い感染力のある風邪が、はやっているのでしょう (^_^;;;。
朝のうちに医者に出かけてきて、薬を飲んで休んでいるのですが、夕方になって熱は下がってきました。科学の力ってすごいですねぇ。
GW に入る前は、カレンダー通り程度には休めると喜んでいたのですが、3日もあった GW の中休み(休んでいるのはGWの方)に仕事が集中して、それどころではなくなってしまいました。GWだから暇だろうと考えての仕事の依頼だったのでしょうけど、逆に仕事が集中してしまいました。
おまけに、ここのところの天候不順(気温の乱高下もストレスだわな)を受けて、3月・4月は完治したように元気だった持病のメニエール病も芳しくなく、結局、仕事と休養で GW は終わってしまいました。実家に帰省するとか、母方の祖父と祖母の墓参りに久しぶりに行くなど計画していたのですが、すべてオジャンとなりました。
そんな GW ですが、4月29日の休日だけは、隣町の埼玉県朝霞市の朝霞市博物館で開催されていた企画展「朝霞と鉄道」*1と、埼玉県寄居町のさいたま川の博物館で開催されていたテーマ展示「埼玉の鉄道橋」を梯子してきました。私としては珍しく車で出かけ(渋滞にハマるのが嫌いなので、ほとんど車では遠出しない)、八高線や東武東上線(越生線)の古レールをチェックしながら帰りました。古レールはそれほど珍しいものは無かったですが、まぁ、唯一 GW らしい充実した1日だったと思います。
戦争の結果は、米英の圧勝に終わり、イラク国民を圧政から開放した正義の勝利とアメリカ合衆国も日本のマスコミも言っていますが、私は疑問を感じています。サダム・フセイン大統領の圧政からの国民の開放という見地に立てば、確かに喜ばしいことだと思うのですが、そもそも隠し持っているらしい大量破壊兵器を見つけることが戦争開始の目的だったのではないでしょうか。いつの間にか問題がスリ代わっています。逆に言えば、大量破壊兵器は戦争を始めるための言い訳に過ぎなかったと、自ら語っているように感じます。
歴史的には、こういう言い訳は繰り返されていると思うのですが、21世紀にもなって、まだ続けているというのは情けないことです。
5月31日(土)補遺:アメリカ合衆国の国防副長官が雑誌で、大量破壊兵器の驚異を強調したのは戦争を正当化するためだったと述べているとのことです。やっぱりそうだったのね。
データベースを壊したのが、1月22日でしたから、修復には丁度3ヶ月を要したようです。また、正常なデータベースのバックアップは、これまた9月22日のものでしたから、回復作業はマル7ヶ月分となりました。
データベースも直ったので、近々ウェブページの更新を再開しようと思っています。
体調(メニエール病)の方は、あいかわらず病院に通っていて毎週または隔週で目昧止めの点滴を受けていたり、月に1日程度はダウンしてしまうこともありますが、それなりに体調を壊す前の生活を取り戻しつつあると思っています。何よりも、低下していた(らしい)体力が戻ってきたのを実感しています。
追記:そう言えば、医療費負担が3割になった、腹立つなぁ。
私は、この武力攻撃に抗議します。その意思を表明するために、私のウェブページから、「英国製の古レール」,「米国諸社製の古レール」,「米国2大メーカー製の古レール」のコンテンツをしばらくの間、削除します。このため、私のウェブページ内に多数のリンク切れが発生します。あらかじめご了承ください。
※ 5月1日にコンテンツは復活させました。
日本に残存する古レールを語るとき、日本の鉄道黎明期を支えた英国製のレールや、全国各地に多数残る米国製のレールの項目を削除することは、古レールに関して何も語らないことに近くなります。それをあえて削除しました。これは、私の抗議の意思の重さを表わします。
なお、私が今回のイラクへの武力攻撃を看過しない理由として、以下の3点を感じています。
*2 かい摘めば、南満州鉄道を守備するために駐屯した日本の軍隊
追伸:この日は、飛行機の予約が割り引きなしでも取れなかったので、列車(のぞみ+しおかぜ)で日帰り出張した。なんと、移動所用時間は飛行機利用と変わらなかった(驚)。お金は飛行機の「早割」に比べれば、鉄道利用が割高だが、飛行機の正規運賃よりは安かったです。
私が宮脇俊三さんの著作に出会ったのは中学校の図書館で、『梛子は笑う、列車は行く』でした。たちまち、その語り口のトリコになり、単行本を買い集めて読んだのを記憶しています。
宮脇俊三さん関連で驚いたことと言うと、私が大学の地質学教室に入学してからのことで、氏も東大の地質学教室に在学されていた経歴があるということでした。改めて、宮脇俊三さんの著作を読み返してみると、地質学の知識が隠し味として散りばめられていることにも気が付きました。
私は出張その他で鉄道を利用する時、車窓の山や川を眺めながら、その地形の特徴の元にもなった地質の特徴、〜例えば、新生代第三紀の堆積岩類の地形や花崗岩の地形,あるいは火山や活断層の作った地形など。または、これらと鉄道構造物の関係〜
に思いを馳せていますが、氏も同様なことを考えていたフシがあります。本当に『車窓はテレビより面白い』と私も思います。
そんなことで宮脇俊三さんとは、機会があれば、お会いして車窓と地質学の話をしてみたいと思っていました。それも叶わぬこととなってしまい残念です。
最後に、宮脇俊三さんの著作のうち、私のお気に入りを紹介しておきましょう。『殺意の風景』です。なかでも「古生層の巻」の話が最高です。
追記:「古レールのページ」的には、『鉄道廃線跡を歩く』シリーズの編者としてお世話になっていることを記しておきます。
とは言え、やはり年度末は別格です。休日も会社に出ていって働いています。反動で時折体調(メニエール病)を壊すので、平日に「代休」という形で休んでいます。さらに、代休を取るから休日出勤をしなければいけない......。結局、休み=調子の悪い日となっています。
せっかくの休みも、めまいを避けて横になっているしかないので、創造的な作業は何も出来ません。先日壊した古レールのデータベースの修復も進んでいません。当然、ウェブページの修正作業や古レールの調査もストップしています。
この状態は、少なくとも3月いっぱいは続きそうです。近年の傾向だと、4月に残務が続くことがあるので、4月下旬くらいまでは、「冬眠」状態となるかと思います。
それにしても、掲載されている写真の量に驚きました。写真の撮影地点は全国津々浦々にまたがっており、その作業は並大抵ではなかったと想像します。これらの写真は、著者が鉄道総研におられた時に、鉄道の年代もの構造物の維持管理というテーマから集めたものでしょうか。むしろ著者の個人的興味で集められたイメージを持ちました。
私も、出張や古レールの調査の傍ら、鋳鉄製跨線橋支柱やレンガ造りの危険品庫、古いトラス橋などの写真を撮り集めています(今のところ、公表の予定はない)。これらの中には、私しか気が付いていないんじゃないかと思っていたものもあるのですが、『鉄道構造物探見』に、少なからず掲載されていました。びっくり。
ちなみに、著者の小野田氏と私の嗜好は似ていると、以前から感じていたのですが、小野田氏は地質学を学んだのち、土木学の世界へ就職された経歴があることを、プロフィールで見て知り驚きました。私と同じだったんですね。
そういう意味で言えば、現役,廃止区間を問わず鉄道構造物等を見る時に、そのタイプの構造物が作られた(あるいは、作らざるを得なかった)背景や地形・地質条件を考えてしまう癖が、私にも付いてしまっています。より詳細にそこを説明してくれた本書はありがたいものです。
追伸:古レールに関しては......、「インターネットのホームページなどで詳しく解説されているので、より知識を深めたい方はぜひ参考としていただきたい」(p.55)とのこと (^_^;
追伸2:「調査の七つ道具」(p.69)。ハハハ、本業ではみんな持ち歩いてますねぇ。当然同じ道具を古レールの調査にも転用しています。それにしても、この本の読者でクリノメーターなんて持っている人、他にいるのかなぁ?。
バックアップは、時々取っているのですが、今回はメインナンスが終わったら行なうつもりでした。そのためもあって、最新のバックアップは昨年9月のものしか残っていませんでした。昨年秋は仕事が忙しかったりで調査数はそれほどではないですが、出張先で空き時間を利用してコツコツと貯めたデータが、いくらかありました。また、年末年始の休暇に集めたデータは結構なものでした。結局100データくらいが消滅してしまいました。
幸い、消えたデータの半分はホームページに載せた後でしたし、それ以外もホームページに載せるために作業中だったので、記録が全く失われてしまうものは無いことから、多少救われました。ただし、失われたデータを手作業で入力することになります。
先に述べたとおり、ホームページに載せる準備中のデータがあるのですが、今は手を付ける気に慣れません。まずはデータベースの修復を優先しようと思います。
今日は、関西在住の古レール仲間のHさんと連絡を取り合って、京都のOさんの案内で、京滋の古レールを見て回りました。京都駅周辺や旧江若鉄道の近江今津駅,湖東線(最近はびわこ線って呼ぶらしいですね)の珍品レールなど見てまわりました。そのほかにも、いろいろと変ったものを案内して頂きました。これらは、折々紹介して行きたいと思います。
Oさんには、古レールの乾拓を取るための道具類を教えていただいたり、また自分一人だと見逃していた点に気付かされたりと、いろいろと刺激にもなりました。ありがとうございました。
普段、首都圏で古レールを見ていると、60ポンド第1種,第2種,ASCE(第3種,第4種)+75ポンドASCE+100ポンドPS 程度で事が足りてしまうのですが、西に行くと断面形が豊富で驚かされました。逆に断面から古レールの出自を推測出来るんですね。そのために、私も断面帳を整備しなければと痛感させられました。
さて今年の正月休みですが、原則的にはカレンダー通り9連休しています(うち1日出勤したけど...、既に「通り」とは言えない?)。旧年となる前半は、昨年秋以降、仕事が忙しくてできなかった私用の雑務を済ませて終わりました。もう少し時間が欲しかったんだけど....、贅沢ってものでしょうか。
正月以降の後半は、米原の実家に帰省します。まず元日の夜は、弟が伊豆にある会社の保養所をとってくれたので、そこで両親と弟と過ごす予定です。そうそう、父の還暦の祝いに私が行けなかったあの保養所です。
ということで、東海道本線を伊豆に向かって西進しながら、東海道本線の古レールを正月そうそう調査しています。東海道本線の古レールは帰省の行き帰りを利用して、コツコツと調べているのですが、立ち寄るには自宅に近すぎて、足が向きにくかった箱根以東の各駅に立ち寄ることができました。
メニエール病は、自立神経(交換神経+副交換神経)の異常から三半器官(蝦牛管)にリンパ液が過剰に溜まることにより、平衡感覚が狂ってめまいを生じたり、耳鳴りが鳴ったりする(症状が進行すると失聴する)病気です。自立神経の異常は、更年期障害によるものもありますが、本人の気真面目すぎる性格と強いストレス(要するにストレスが受け流せれば問題無い)も原因になることがあるとされています。めまいや耳鳴りは、短いと数10秒、長いと2〜3日間続く発作として現れます。
私の場合、平衡感覚が狂っている間は、乗り物酔いか宿酔いのような感覚(ひどいと吐き気も)が続きます。発作は、強弱を繰り返しながら1週間くらい続く時もあるような....。
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