5.1.2b 古レールの刻印の調査 (首都圏北部のJR)1st wrote at 1999.10.08 / Last update at 2006.05.25
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駅・路線ごとの古レール調査結果のうち、首都圏(ホリデーパスのエリアに限定)のJR線で、日本鉄道敷設の各線(山手線は含む)とその枝線(武蔵野線・川越線などは含む)の沿線のリストです。その他の首都圏は首都圏南部JR,その他のJR東日本エリアは東北日本のJRと関東甲信地域のJRにあります。
ここにあるリストは、主観を排除するため、現地で判読できた文字列をそのまま記載してあります。従って、間違いや抜けがあるまま載せている可能性がありますので、ご理解とご注意の程よろしくお願いします。 順番は、県別(県番号順)に駅・路線を並べ、以下に製造元名のABC順としています。 路線(50音順) |
(pref.8) 土浦(常磐線)上り線ホームの方が、塗装が薄く、刻印が読み易いです。上り線ホームの仙台方の階段下に30kg(60ポンド)レールが数本使われています。また荒川沖方に、古レール利用の2本の人道跨線橋があります。 |
【凡例: (D) 下りホーム (U) 上りホーム (B) 荒川沖方の人道跨線橋】 |
土浦駅:ホーム上屋 |
(pref.11) 高崎線(埼玉県内,熊谷〜宮原)高崎線の熊谷〜大宮間(除:大宮)では、東京近郊路線として橋上駅舎化が進んでおり、古くからの古レール利用のホーム上屋はほとんど残っていないように見えます。しかしながら、鴻巣駅と北本駅では、ともに下りホームのホーム上屋に2本だけ古レールを利用した支柱が残っており、上尾駅でも虫食い状に古レールを利用したホーム上屋の支柱が残っていました。上尾駅では上りホームの1番線と下りホームの2番線の上屋に古レール利用のホーム上屋が見られます。 |
【凡例: (K) 鴻巣 (T) 北本 (O) 桶川 (A) 上尾】 |
上尾駅:ホーム上屋 |
(pref.11) 東北本線(埼玉県内,栗橋〜土呂)埼玉県内の東北本線のうち、京浜東北線の運転区間外のものです。駅施設の古レールは蓮田駅と白岡駅にしか残存していないようです(小山までも、この2駅にしか残っていませんでした)。栗橋駅には古レール利用の跨線橋があったはずですが、調査が間に合いませんでした。 |
【凡例:(S) 白岡 (H) 蓮田】 |
(pref.11) 大宮(東北本線,高崎線,川越線)鉄道が産んだ街である大宮です。鉄道路線の分岐駅は古レールの宝庫であることが多いのですが、ホーム上屋はすべて更新(新幹線開通時?)されており、残っていません。ただし、貨物線下り線ホームの11番線(旧川越線ホーム)で、ホームの柵にレールが使用されている箇所があります。大宮総合車両センター(大宮工場)では、電車用クーラーの置き場となっている広場にある門型クレーンの支柱に古レールが見られました。ここには初期の日本鉄道関連のレールが多数残っていました。 |
【凡例:(O) 大宮駅11番線ホーム柵,(W) 大宮総合車両センター(大宮工場)】 |
大宮工場:クレーン支柱(走行桁はレールでは
ないが、クレーン用レールは....) |
(pref.11) 東北本線(埼玉県内,さいたま新都心〜川口)埼玉県内の東北本線のうち、京浜東北線の運転区間(除:大宮)のものです。埼京線(北与野〜武蔵浦和〜戸田公園)も含みます。 埼玉県内の京浜東北線各駅は、比較的新しい時代に線増されたため、古レールを利用したホーム上屋はほとんど存在していないようですが、例外的に浦和とこの西川口に古レールを利用したホーム上屋が見られます。どちらも東北本線と京浜東北線の線路が分離される前の遺構なのでしょうね。
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【凡例:(U) 浦和 (S) 南浦和 (N) 西川口 (M) 武蔵浦和駅の近く】 |
南浦和駅浦和方:古レールの人道跨線橋 |
(pref.11) 川越線川越線(大宮〜川越)では、埼京線乗り入れ時の改築の為か、古レールを利用したホーム上屋はありませんでした。ただし、ホームの柵に古レールが数多く、使われています。埼京線乗り入れ時にホームを拡張したのではないかという部分にも、古くからのホーム部分にも同じ年代の古レールがあるのは、ちょっと妙です。1935〜1942(神武皇紀2602)年の日本製鉄(八幡製鉄)製がほとんどを占めます。 |
【凡例: (N) 日進 (S) 指扇 (M) 南古谷】 |
南古谷駅:ホームの転落防止柵 |
(pref.11) 武蔵野線高架で、新しい時期に作られた武蔵野線ですが、高架下には意外と古レールの柵があります。筆者の居住地の近くのため、記録が取られています。このうち、1965〜1968年のレールは未使用のようですが、別所信号場付近の1935〜1337年のレールは、頭部に磨耗が見られます。武蔵浦和駅近くでは、埼京線の高架下からも古レールが見つかっています。 |
【凡例: (W) 西浦和近傍 (B) 別所信号場(中浦和駅)近傍 (M) 武蔵浦和近傍 (S) 武蔵浦和−南浦和間】
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別所信号場:武蔵野線の高架の下の境界柵 |
(pref.13) 東十条(東北本線)東北本線(京浜東北線)の東十条駅では、北行線(3,4番線)のホームの上屋に古レールが使われています。この駅の古レールは、塗装が厚く刻印の読み取りが困難なものもありましたが、なんとか刻印が読み取れるものが多いようです。1900年以前の古典的レールが多い点が特徴的です(国産レールが全く見当たらないのも珍しいです)。また東十条駅の構内には、駅北口に接して跨線人道橋(8ピラー10径間)が設けられていますが、この下部構造は古レールを利用したものとなっています。 |
【凡例: (H) 東十条駅ホーム上屋 (J) 東十条駅構内跨線人道橋】 |
東十条駅:ホーム上屋(北行線) |
(pref.13) 東北本線(東京都内,赤羽〜神田)東京都内の東北本線(京浜東北線を含む)の各駅で確認した古レールです。このうち、東十条,鶯谷,上野についてはリストを別にしてますので、それぞれ参照してください。この区間の各駅では、ホーム上屋に古レールが大量に利用されていることが確認できますが、大抵は塗装が厚く、読み取りは困難です。 日暮里駅は古レールだけで、ドーム状のホーム上屋を作られており、古レールで作った建造物の中では最も規模の大きいものではないかと思います。日暮里駅には、かつて東北本線の旅客線にもホームがあったそうですが、遺構から見ると同様のホーム上屋が常磐線のホームまで見られたことが予想されます。なお、ホーム上屋の梁については、架線の支持にも利用されています。
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【凡例:(O) 王子 (K) 上中里 (T) 田端 (N) 日暮里 (A) 秋葉原】 |
田端駅:古レールで作ったドーム状上屋
飛んでしまっているのが残念)
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(pref.13) 鶯谷(東北本線)鶯谷駅は、京浜東北線と山手線の2つのホームに古レールを利用したホーム上屋や跨線橋などがあります。これらに利用されている古レールのうち、最下段に記した官営八幡製鉄所製は、発見されている中で最も古い製造年とされる1902年製のものです。 |
【凡例:(G) 鶯谷,(K) 鶯谷駅跨線橋】 |
鶯谷駅:駅の跨線橋
(この中に八幡製鉄所1902年製がある)
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(pref.13)上野(東北本線)上野駅では、その象徴ともいえる地平ホーム周辺には古レールは認められませんが、高架ホームの方では古レールを見ることが出来ます。 |
【凡例: () 内、ホーム番号】 |
上野駅:古レールで作ったドーム状上屋 |
(pref.13) 常磐線(東京都内,金町〜三河島)東京都内の常磐線各駅のホーム上屋などに見られる古レールです。北千住駅の駅施設には古レールは残っていませんが、駅の日暮里方にある跨線橋に古レールが使われていました。残念ながら常磐新線の工事に伴い、撤去されました。ここでは間近に寄れる箇所が無かったので、刻印が読めたのは1本だけです。 南千住駅のホーム上屋も、常磐新線の工事のための仮設ホーム移転に伴い撤去されてしまいました。しかし現場担当者の努力によって、廃棄を逃れ、スライスして文鎮として販売されているようです。 |
【凡例:(K) 北千住 (J) 南千住】 |
北千住駅日暮里方:古レール利用の跨線人道橋
の階段 |
(pref.13) 赤羽線(埼京線)現在、埼京線と呼ばれている路線のうち、池袋〜赤羽間は正式には赤羽線という名称になります。赤羽線と山手線の池袋〜品川間は、日本鉄道の品川線(1885年3月開業)に由来しています。十条駅では、ホームの上屋と跨線橋に古レールが使用されています。ペンキが厚いものが多いですが、幾つか判読可能なものがあります。 板橋駅は、ホームの上屋(最近更新されたが、以前は木製だった)に古レールは認められませんが、駅舎に古レールが使用されています。 |
【凡例: (J) 十条,(I) 板橋,(II) 板橋−池袋間の人道跨線橋】 |
十条駅:古レールの跨線橋 |
(pref.13) 山手線山手線の各駅のホーム上屋などで確認した古レールです。山手線は意外にも古レールの宝庫なのですが、古レールがあまりに多すぎて調査は進んでいません。 |
【凡例:(O) 大塚 (S) 新大久保】 |
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