アイダホ州における旧来の産業のうち、農業は就業人口の点で現在では州内労働人口の5%程度に減少したが(全米2%)、じゃがいも(全米1位)、砂糖大根(2位)、はっか(3位)、ホップ(3位)、タマネギ(3位)、春小麦(5位)などの生産は全米のなかでは上位を占めている。
農業自体の州経済への影響力は減少しているものの、ボイジ地域が今日まで農業と関連したサービスなどの集積によって発展してきたこと、マクドナルドにポテトを供給しているジャガイモ卸の大手J・R・シンプロット、冷凍ポテトなど冷凍食品で全米有数のOre-Ida Foodなどの企業を輩出したことからも同州においては歴史的に重要な産業と言える。
林業に関しては就業人口に占める割合は現在2%以下である。
同地域には1957年にボイジにあったBoise Payette Corporationとワシントン州のCascade Lumber Companyが合併してできたボイジカスケード(Boise Cascade)のように地元の森林資源を活用し(現在でも200万エーカーの森林を保有)数年のうちにパルプと紙製品の世界的な企業にまで成長した企業もある。
同社は現在でもフォーチュン500にランクされている。
鉱業に関しては19世紀の金鉱の発見以降、銀、亜鉛、バナジウム、アンチモニー、ガーネットなどの生産も多く銀の生産は全米4割にも達した時期もあったが、環境問題の高まり、銀価格の低迷などの影響で1980年代前半に北部の鉱山シルバーバレーなど主要鉱山が閉山された。
閉山によって数千人の失業者が発生し同州の経済に大きな影響を与えた。
鉱業への依存が依然として強いことを当時はあらためて窺がわせたが、現在は事実上鉱業の同州に与える影響力は低下している。
以上のように1970年代までは林業、農業と言った地元資源を活用した木材加工、食料品といった分野が中心であり、その中にあってJ・Rシンプロット、ボイジカスケードなどが誕生した。
その他の分野においても建設土木大手のモリソン・ヌードセン、スーパーマーケット大手のアルバートソンといった地元企業が世界的な企業へ成長していった。
このように多様な分野において地元企業が生まれ世界的規模の企業に次々と成長していった地域は全米においてもおよそ見当たらない。
最初に世界的規模に成長したモリソン・ヌードセンをかわきりにその成功が地域に大きな影響を与え、それに続くように多くの地場企業が成長し、そして最も重要なことは、それらの地場企業がその後もボイジ地域に本拠を構えつづけたことが、その後の発展への相乗効果をもたらしたことである。
1970年代以降は既存の業種に加えハイテク企業の参入が進んだ。
これは州政府や商工会議所の誘致活動に加えシリコンバレーなどから安価な土地、労働力などを求めハイテク企業が工場を移転させたことによる。
なかでも決定的な契機となったのは1973年のヒューレット・パッカードの誘致である。
当時同社は既に全米に12の工場を持つ大企業に成長していたが、今後の成長の柱として期待されるプリンター生産事業のため新たな工場の建設が必要となっていた。
同社は12の候補地の中から、本社のあるシリコンバレーから飛行機で1時間半以内で行けるなどの基準で最終的にはワシントン州のスポーケンとボイジの2箇所に絞って検討を進めていた。
当時のAndrus知事と同社の共同経営者の1人David Packardの知事室での会談で、知事は「州は一切インセンティブを出せない。
但しLow Tax(低い税率)、Good Work Force(労働力の質)、Quality of Life(生活の質)は保証する」と回答した。
通常ならば州の財政支援の多い他州へ行ってしまうところであるが、同社は最終的にボイジへの進出を決めた。
この要因は金銭的なインセンティブといった経済的側面よりも、労働力の質、生活の質といった側面が長期的には重要であり、税率、コストの低さを含めたボイジ地域のトータルのビジネス環境を評価したためである。
またその当時共同経営者のHewlettもPackardも、アイダホ州に牧場を持っていて自然環境も含めアイダホ州の魅力を充分理解していたことも大きいと思われる。
その後ボイジの工場は同社の全体利益の25%を稼ぎ出すまでになり、同社にとって最も重要な拠点として位置付けられている。
また同社の主力商品であるレーザープリンターもここで開発された。
現在同工場は約4千人の従業員を抱えており、同社における研究・開発・マーケティングの中心となっている。
ヒューレット・パッカードのボイジ進出から数年たった1978年に、マイクロン・テクノロジーがボイジ市ダウンタウンの一角で歯科の地下室を借りて事業をスタートさせた。
同社はダラスにあった半導体メーカーMostec社からスピンアウトしたParkinson兄弟、Doug Pitmanらによって、当初はダラスで半導体設計受託をスタートさせたものの、生活環境を重視したいPitmanらの強い希望でボイジに移転した。
彼らはユタ州を始め数カ所を候補地として検討したが、最終的には彼らが育ったアイダホ州内のボイジを選択した(Parkinson兄弟はアイダホ州の北部の町ブラックフット、Pitmanはアイダホフォールズ)。
高校時代から工学系の賞を受賞していたParkinson兄弟に対しては地元の投資家(農家で灌漑設備の発明家であるAllen Nobleなど)の協力もありスタートアップの資金を集めることは容易であったが、チップのデザインだけではなく実際の製造工場を建設できたのは、ホテト王J・Rシンプロットの息子Scott Simplotが早々に同社への出資を行ったことによる。
同氏はポテト卸を中心とした事業以外への進出を考えていたため、半導体事業は非常に魅力的なものであった。
設立当初、自治体の対応はあまり協力的なものではなかった。
同社を含めハイテク企業はモリソン・ヌードセンなどの工業地区に立地するように指導されていたが、同社は少しでも安い土地が必要であると主張し、最後は「半導体はハイテク産業ではなくガラス産業である」と言う苦しい説明でどうにか別の地区への建設許可を取りつけた。
その後同社は1984年、1993年に工場拡張を行い、現在では従業員1万人を抱えるボイジ地域最大の企業となっている。
1980年代前半、アイダホ州は従来の天然資源をベースとした木材、鉱業、農業などの産業が景気後退の影響で厳しい状況を迎えていた。
1978年から1982年の間に林業、鉱業では8,200名の失業者が発生し、農業収入は1983年からの2年間で4割も減少する事態となった。
1986年1年間でアイダホ州からのネットの転出超は12,390人にも及んだ。
この難局を乗り切りその後現在まで13年連続の経済成長を達成できたのは1980年代のヒューレット・パッカード、マイクロン・テクノロジーなどハイテク産業の成長と1990年代以降の派生企業、スタートアップ企業の成長によるところが大きい。
ヒューレット・パッカード、マイクロン・テクノロジーからの派生企業だけでも200社以上に達しており、この中にはインターネットの接続システムを扱って1年間で株価が40倍になったExtended System社やヒューレット・パッカードへのプリンターサーキットボードを供給しているJabil Circuit社などが含まれている。
ちなみにアイダホ州は人口1人あたりの特許出願件数が全米1位となっている。
これらのハイテク産業の成長がそれまで同州の経済を支えていた既存産業に加わることで、同州の産業構成は非常に多様なものとなった。
これによって既存産業のもっていた変動性はかなり抑えることが可能となり80年代後半からの安定成長へと繋がったのである。
1990年代以降も成長を続け、現在はビジネス環境が全米有数とまで評価されているボイジ地域について、いくつかのデータを紹介することとする。
(1) 州別人口増加率
1990年〜99年の人口増加率は24.3%でネバタ州、アリゾナ州についで全米3位の増加率となっている。
ネバタ州は近時のテーマホテルなどの観光産業による要因が大きく、メキシコと国境を接するアリゾナ州はメキシコからの人口流入の要因が大きいことから、純粋な意味での増加率と言う点では全米ナンバー1といっても良いかもしれない。
アイダホ州は90年代半ばに景気後退に陥ったカリフォルニア州から多くの人が同州に流入した要因が大きい。
(2) 州別経済成長率
下表は1990年代における州別の成長率を比較したものである。
上位は中西部の各州が上位を占めている。
1位はネバタ州であるがラスベガスにおけるテーマホテルなどの観光産業の伸びを反映している。
2位以下はユタ州、アリゾナ州、オレゴン州、ニューメキシコ州、コロラド州と続く。
ユタ州、コロラド州はシリコンマウンテンと称され通信やベンチャー企業が急成長を遂げている。
またオレゴン州は1980年代以降、政策的な企業誘致により多くのハイテク企業の工場進出を強力に推進した。
いずれの州もハイテク企業の成長が大きな要因となっている。
アイダホ州はこれに次いで7位の成長率を遂げているが近隣のモンタナ州、ワイオミング州などに比べても高い成長率を記録している。
モンタナ州は銅資源に恵まれ、ワイオミング州は石炭、石油、天然ガスなどの鉱業に加え農業もさかんであり、両州はこれらの既存の産業への依存度が高い上、外部からの企業誘致に必ずしも積極的ではない。
アイダホ州が従来の地場企業の安定的な成長とハイテク企業の進出等により多様な産業構成が形成できたこと、地理的に両州よりもカリフォルニア州に比較的近いことが企業進出を容易にしたことがポイントとなっている。
(3) 製造業出荷額、小売出荷額
以下の表は商務省がまとめた1992年から1997年までの製造業、小売業の増加率を示したものであるがアイダホ州はいずれも全米第6位にランクされている。
製造業出荷額に関しては半導体などのコンピューター関連部品の売上増加が大きな要因であり、小売出荷額の伸びもコンピュータ関連製品、ソフトウェアなどが寄与している。
(4) 失業率、労働人口推移
好調な経済を反映してアイダホ州の1999年の失業率は4.8%と過去30年で最低を記録している。
労働人口の推移ではサービス産業が最も高い伸びを示しているが、コンピュータ産業関連のソフト産業の伸びが大きい。
官公庁の労働人口も増加しているがこれは連邦から州政府への事務移管と人口増加に伴う学校関係者などの就業増による。
(5) 輸出額推移
下表はアイダホ州の輸出額の推移である。
輸出額は半導体などのハイテク製品の伸びで増加傾向にある。
96年の減少は半導体製品の価格低下が、98年はアジアの経済危機による輸出減がそれぞれ影響している。
輸出製品はハイテク製品以外に自動車ブレーキ、紙製品、食料品などであり、輸出先の上位はUK、カナダ、日本、シンガポール、マレーシアの順である。
(6) その他
今年5月にForbes誌が発表したビジネス最適都市のランキングでは、テキサス州オースティン地域、ジョージア州アトランタ、カリフォルニア州サンタローザ、コロラド州ボールダー地域についでボイジは5位にランクされた。
ボイジはこれらの都市のなかで地理的に最も孤立した都市でありながら、コスト面や都市の渋滞がないという点でビジネス、生活面で大都市圏よりもむしろ有利であると言うことが同誌においても高く評価されている。
ボイジ地域の大きな特徴は既述のように大都市圏から遠く人口的にも小規模な地域でありながら、世界的企業が数多く本社を置き1990年代以降も成長を続けていることにある。
日本ではあまり見受けられないこのような地域が米国においてはボイジ地域以外にもいくつか見受けられる。
例えば中部に位置し情報通信関連企業の中継点として発展を続けるネブラスカ州オマハや地域電話会社大手のMCIワールドコムが本社を置くミシシッピ州ジャクソンシティーなどがこれにあたる。
下表は同様な地域の一覧であるが、このなかにあっても各分野で成長を遂げた地元企業が本社を維持しつつ1990年代の高い成長率を達成しているボイジ地域の特徴は顕著である。
ボイジ地域の成長は土木建設、ホテト卸、木材加工、スーパーマーケット、半導体など多様な分野において、地元から誕生した小さな企業が類まれな経営によって次々と世界的な企業に成長し、しかもボイジ地域に本拠を置き続けたことが相乗効果をもたらしたと言う要因が非常に大きいものと思われる。
ここではこれらの主要企業がローカル企業から出発し、全米ひいては世界市場へ進出した過程や対内投資などの地域への貢献を見ていくこととする。
(1)モリソン・ヌードセン
(99年度売上2,248百万ドル 最終利益48百万ドル 従業員数22,000人)
モリソン・ヌードセンは1912年にボイジでHarry W. MorrisonとMorrison Hans Knudsenによって設立された。
ボイジ川のポンプ設備の製造などを手がける中小企業から、その後フーバーダムやアラスカパイプラインの建設など大プロジェクトを手がける総合土木エンジニアリング会社に成長したボイジ地域最初の世界的企業である。
創業者の1人Harry W. Morrisonはボイジ地域の生活の質の高さを強く認識していた1人で地域内へのさまざまな貢献を行っている。
妻の死後150エーカーに及ぶ公園(Ann Morrison Park)の寄付を行った他、モリソン財団(Morrison Foundation)によってモリソンパーフォーミングセンター(芸術学校)の建設やボイジ州立大学、アルバートソンカレッジなどへの支援が行われている。
(2)J・Rシンプロット
(99年度売上高2,800百万ドル、従業員12,000人)
ポテト王として名高いJ・Rシンプロット氏は、60年も前からのForbes誌長者番付の常連で、モリソンヌードセンを設立したHarry W. Morrisonやアルバートソンの創設者Joe Albertsonとともにボイジ地域でアメリカンドリームを実現した伝説中の人物でもある。
これらの人物を輩出したことはその後のボイジ地域の起業化精神の醸成に大きくつながっていると言われている。
同氏の設立したJ・Rシンプロットはマクドナルドが使っているポテトの過半を供給する会社としても有名である。
現在では全米20州、海外9ヶ国に拠点を持ち従業員は1万2千人を擁している。
同社の成功は、地元で生産されるポテトをベースに冷凍フレンチフライを開発したこと、ポテト加工の際に発生するあまった材料を利用して食肉生産に進出、その後関連する燐酸肥料の生産と巧みな事業展開を図ったことにある。
近時はオーストラリアの工場を買収によって手に入れる(1995年)など海外展開を一層強化している。
その一方、地場企業としてボイジ地域への多様な投資を行ってきている。
その中で特筆すべきはマイクロン・テクノロジーへの出資であり、彼らの出資なしでは現在のマイクロン・テクノロジーは存在し得なかったかもしれない。
これ以外にも同地域の住宅開発、ボイジ南東部のアウトレットモールの開発、グローブホテルの建設などの地域内への投資を行う他、地域内への人材供給の点ではPerforming Artのための学校Esther Simplot Academyの設立やアイダホ州立大学を始め各大学への寄付を行うことで多大な貢献をしてきている。
(3)ボイジカスケード
(99年度売上6,952百万ドル 最終利益200百万ドル 従業員数24,000人)
ボイジカスケードは、1957年に地元のBoise Payette Corporationとワシントン州のCascade Lumber Companyが合併してできたパルプ、紙製品の大手である。
この合併により木材製品とその生産の過程で発生する廃材からつくる紙製品の組み合わせが可能になり、経営の効率は飛躍的に高まった。
この合併は事業統合の典型的な成功例として歴史的にも語り継がれている。
数年後には世界市場における圧倒的地位を築きあげ、経営幹部はその時点で大都市への本社移転を検討したが最終的にはボイジに留まる選択を行った。
1960年代には既に米国の大都市は治安や渋滞などの問題に悩まされていたのに対し、その当時人口10万人にも満たないコンパクトなボイジ市はこれらの問題が比較的少なかったのである。
現在同社の主力製品であるオフィス製品、パルプ・紙製品、ビルディング関連製品のうち、オフィス製品はダイレクトメールと全米に広がる配送センターを通じて直販を行う一方、パルプ・紙製品、ビルディング関連製品は卸売りを行っている。
このような効率的なオペレーションが近年のロジスティクスや情報通信手段の進歩によって比較的容易となり、消費地から離れた遠隔地からのコントロールを可能にしている。
本社をボイジに維持する決定を行って以降、同社はボイジ地域の発展のために地域内へのさまざまな貢献を行っている。
商工会議所への資金援助や地域医療センター、YMCA、ボイジ図書館、Boise Art Museumなどの施設建設、さらにはボイジ州立大学やアルバートソンカレッジへの支援などで、その後のボイジ地域への人材形成にも大きく貢献している。
(4)アルバートソン
(99年度売上37,428百万ドル 最終利益404百万ドル 従業員数220,000人)
1939年にJoe Albertsonによって設立された全米2位のスーパーチェーンである。
Joe Albertsonはオクラホマ出身でアイダホの大学を卒業後、サンフランシスコに本拠を置くスーパーであるSafewayで修行を積んだ後、ボイジ郊外にGrocery Storeをスタートさせた。
当時のサービスとしては斬新であったアイスクリームカウンターやマガジンラック、出来たてパンなどを取り入れ、One Stop Shopping(1箇所ですべて片付く) の発想のもと多様なサービスの提供を特徴とした。
住宅街の中に当時の平均的な店舗面積の8倍にあたる店舗を作ることは一部に不安の声があったものの、その不安をよそにJoe Albertsonの1号店は大成功をおさめた。
1940年には州内のナンパ、コードウェルに出店、1950年代に近隣のユタ州、オレゴン州、ワシントン州へ出店、1959年にニューヨーク証券取引所に上場を果たしている。
1964年には合併によって14店を獲得しカリフォルニア州への本格的な進出を果たした。
1970年代以降順次建設した自前の巨大な配送センター(現在21所有)が各地のリテールオペレーションを容易にし、さらに通信、コンピュータ技術の進歩による顧客情報の正確な把握によって本社機能は引き続きボイジ地域に維持している。
1980年代には巨艦店の建設、近時はドラッグチェーンのSav-on等の合併など業容を拡大し、現在では37州で2500店を展開している。
同社は全国展開の一方で地域への貢献も怠っていない。
アルバートソン家はボイジ川周辺の41エーカーを公園として寄付し、Albertson Foundationを設立し各大学への寄付を続けている。
多額の寄付を受けたことによりIdaho CollegeはAlbertson College of Idahoと改名されたほどである。
(5)マイクロン・テクノロジー
(99年度売上3,764百万ドル 最終利益△69百万ドル 従業員数15,700人)
1978年に設立された新興の半導体製造メーカーである。
「アイダホ州で有名なものはポテトチップとマイクロチップ(半導体)」と言わしめたのは、同社の急成長に負うところが大きい。
1980年代は日本メーカーの攻勢でほとんどの米国半導体メーカーがD-RAM生産から撤退する中、製造サイクルを短縮化するなどの生産の効率化による徹底したコスト削減によって切り抜け、1990年にニューヨーク証券取引所に上場、現在ではD-RAMでは世界最大級のメーカーに成長した。
ボイジに本社を置いた理由は創業者のParkinson兄弟らが当地の出身でライフスタイルやコストの点でボイジ地域の優位性を意識していたことが大きい。
半導体生産のように同じ設備で生産を行うのであれば労働力の質の差が大きな決め手となる。
この点ではボイジ地域は高卒以上の比率が全米3位という指標などが示すとおり中等教育の点では遜色はないものの、ハイテク企業への人材の供給と言う点では、工科系の大学がほとんどないため大きな不安材料となっていた。
そのため同社はボイジ州立大学の工学部の設立を後押しし施設建設に6億円を提供している。
さらに昨年より半導体のデザインでヒューレット・パッカードなどと伴に同大学で協同研究を始めるなど産学協同の動きを加速させている。
同社は世界的なメジャープレーヤーとなった後も本社をボイジに維持している。
この点に対し同社は「製品を全世界規模で販売するためにはマーケットプロスペクトの分析が非常に大切であるが、世界各地にそのための事務所を設けているし10年前までは大変であったが、Eメールなどの情報通信の発達で今はなんの問題もない。
大都市から離れているから不利だとは思っていない。
生活の質を向上させることによって良い人材を確保することの方が大切である(同社幹部の談)」とのスタンスを取っている。
以上の企業で共通して言えることは、(1)地元の経営資源に立脚した内発型地場企業が国際的な規模の企業へ発展したこと、(2)本社を大都市に移転させずボイジ地域に留めたこと、(3)同地域への有形・無形の投資を継続的に行っていったことがあげられる。
そしてそれが好循環をもたらし、地域発展のために相乗効果をあげていったことである。