■安倍晴明を探せ2〜安倍晴明邸宅跡の確定
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安倍晴明の邸宅跡

安倍晴明の邸宅跡

 安倍晴明の邸宅跡として有名な場所として、京都市上京区堀川通一条上ルの晴明神社があります。でもこれはちょっとおかしい。神社の位置は一条通(平安京の一条大路)より北側ですので、これでは晴明は平安京の外に住んでいたことになってしまいます。調べてみますと、この場所を晴明の邸宅跡とするのは、江戸時代の地誌等までしかさかのぼりません。つまり、ここが晴明の邸宅跡というのは史実ではありません。
 晴明の邸宅を推定できる信頼できる史料は『今昔物語集』『大鏡』の2点あります。『今昔物語集』巻24には「晴明の家は、土御門大路(現在の上長者町通)からは北、西洞院大路(現在の西洞院通)から東にあった」とあり、『大鏡』巻1には「晴明の家は、土御門大路と町口小路(現在の新町通)の交差するあたり」としています。これにしたがうと、晴明の邸宅は現在の上京区上長者町通西洞院東入ル(新町通西入ル)北側の土御門町の付近だということになります。つまり、今の京都ブライトンホテルの敷地の南側のあたりです。行ってみると、民家とブライトンホテルの駐車場があるばかりで、晴明の家の跡を忍ぶものはまったく何にもありません。

 2000年6月、京都女子大学宗教・文化研究所が主催する公開講座「平安・室町の陰陽道と陰陽師」を聴講してきました。山下克明氏(青山学院大学講師・大東文化大学東洋研究所兼任研究員)の「陰陽道と安倍晴明」を聴き、たいへん興奮しました。なぜかというと、安倍晴明の邸宅址の正確な位置を論証されたのです。これまでは安倍晴明の邸宅跡は、左京北辺三坊二町だということしかわかりませんでした。それが山下氏の研究によると、同町の西南角の6戸主(東西60メートル 南北45メートル)だったことが論証されたのです。これは画期的なことだと思います。詳しくは「安倍晴明の邸宅とその伝領」『日本歴史』632、2001年の1月号で発表されます。
 家に帰って平安京復元図に晴明邸宅址の6戸主を落としてみたのが下の地図です。少しわかりにくいかとは思いますが、その大半は民家がしめ、京都ブライトンホテルはほんのわずかしか重なりませんでした。

安倍晴明の邸宅跡

 上の図面は京都市の2500分の1の地図に平安京の条坊を書き加えたものです。地図が古いのでまだ京都ブライトンホテルは建っていませんが、その前身の橘女子高校が見えます。京都ブライトンホテルの正面玄関は、「三坊二町」の「町」の字のあたりです。
の地点(上長者町通と西洞院通の交差点)から晴明邸宅址に向かって撮ったのがトップの写真です。

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