■安倍晴明を探せ3
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一条戻橋(いちじょうもどりばし)

一条戻橋

 橋というのは、ムラ境・峠・辻などと同様に、境界の象徴です。戻橋は、平安京の北端・一条大路を南北に流れる堀川にかかる橋ですし、平安京に入ってくる疫神をさえぎる、特別な祭祀空間でした。死んだ三善清行が子の浄蔵の祈りによって蘇生した話、渡辺綱が美女に化けた鬼に会う話など、数多くの不思議な伝説があります。安倍晴明はこの橋の下に式神を隠し、用のあるときに呼び出していたそうです(『源平盛衰記』巻10)。
橋の下に降りてみると、暗渠から吹いてくるひんやりした風のせいか、いまにも式神が現れるんじゃなかと、ドキッとします。

【アクセス】市バス一条戻り橋下車 すぐ。戻橋の下へは南へ少し下がった中立売通にかかる橋の脇から降りることができます。

法成寺と土御門第

法成寺跡石碑  仙洞御所

 晴明といえば、藤原道長のブレーンとしても知られています。
 『宇治拾遺物語』巻14によると、道長が法成寺に詣ったおり、道長の飼っていた白い犬が彼の行く手をはばみました。晴明はその理由を占い、法成寺の門の地下に埋められていた呪いの品を見つけだしたというのです。
 実際のところをいうと、法成寺は晴明が死んでから建てられていますので、このエピソードは疑わしいといわざるをえません。
 ただ、法成寺の西には、道長の本邸である土御門第(京極第、上東門第ともいう)がありました。晴明と道長の関係を考えると、晴明がこのあたりをしばしば歩いていたことは事実だったと思います。
道長の土御門第は、土御門大路の南、東京極大路の西、近衛大路の北、富小路の東、東西一町・南北二町にあたります。道長が有名な「望月の歌」を詠んだのもこの土御門第です。現在の京都御苑内仙洞御所の東北部とその北辺がその跡地にあたります。写真は仙洞御所です。

【アクセス】市バス荒神口下車 徒歩5分

遍照寺(へんじょうじ)跡

遍照寺跡

 『今昔物語』巻24に、広沢の遍照寺に寛朝僧正を訪ねた晴明が、式神を使って蛙を殺してみせるというエピソードがあります。
遍照寺は、永祚元年(989)花山天皇の勅願により寛朝が創建しました。当時は朝原山(遍照寺山)の麓に壮大な伽藍を構えていましたが、しだいに衰退してしまいました。
 現在、広沢池の南側にあたる右京区嵯峨広沢西裏町に遍照寺というお寺があります。ただ、これは近世にはいって復興されたもので、平安時代の遍照寺とは場所がずれています。
平安時代の遍照寺は、広沢池の北側から西側にかけて存在していました。その跡を示す遺構はほとんど残っていませんが、広沢池の西北岸のところに小さな堂の跡が残っています。最近、この遺構は京都市の史跡に指定され、写真のような碑が建てられました。見えにくいかもしれませんが、左端に見えるのは建物の礎石です。
 この写真を撮りに訪れたとき、ちょうど雨だったので、蛙がたくさんいました。団長とふたりで、写真のモデルにしようと蛙捕りに奔走しましたが、すべて逃げられてしまいました。

【アクセス】市バス・京都バス広沢御所ノ内町下車 徒歩10分(現在の遍照寺 徒歩3分)

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