古レール調査日誌(2000年版)

1st wrote at 2000.7.1


世紀の終わりに【12月31日(日)】

 20世紀最後の日でしたが、高校時代の鉄道趣味仲間から連絡をもらって、彼の鉄道完乗(全JRと民鉄)に立合ってきました。彼と会うのはかれこれ12年降りで旧好を暖めて参りました。会社に入って以来、毎年友人が減っていくのを嘆いていた(特に年賀状シーズンが辛い)だけに、世紀の終わりにいいイベントだったと思っています。
 彼が最後の路線に選んだのは、三岐鉄道でした。実家の米原から、名古屋〜JR富田経由で探訪しました。途中、時間をとっておいて関ヶ原大垣で古レールを見ました。また近鉄富田でも時間の関係で古レールが見れました。JR富田にはかなり立派な古レールのホーム上屋があったのですが、ここは都合で見れなかったのが残念です。

 夜の紅白歌合戦で石川さゆりさんが「津軽海峡冬景色」を歌いましたが、どの司会者からも「連絡船」という言葉が無かったのが非常に残念でした。やはり13年というのは長いのでしょうか。


20世紀を語る【12月24日(日)】

 いよいよ20世紀もあとわずかとなりました。マスコミなどでは、さまざまな「20世紀論」が出ていますが、ほとんどが戦後の50年程度しか語れていない点が気になります。歴史の総括と言うのは、将来への布石ですから、きっちりやってもらいたいものです。
 例えば、日本の技術や発明品については、いろいろな「made in Japan」が語られましたが、その素材である鋼が日本で大量生産できるようになったのは、1901年の官営八幡製鉄所の設置からで、20世紀最初の年のことでした。そこまで逆上った上で、この100年間の日本の技術の進歩を語ってもらいたいものです。


危険です?東京の駅ホーム【12月23日(土)】

 先日の京福電鉄で列車の正面衝突事故に関して、有名新聞のコラムで、事故を起こした車両が台車が1928年製,車体が1958年製であることを指摘して、「京福電鉄の幹部諸氏は、こんな電車に乗りたいだろうか」と書きつづられていました(2000年12月20日付け朝日新聞天声人語)。
 ところで、例えば東京都内のJRでも、東京〜新橋の高架橋は明治から大正にかけて作られたもの(『鉄道考古学を歩く』より)ですし、中央緩行線の水道橋と飯田橋の間にある小石川橋梁は明治37年の開業以来のものとのこと(鉄道ピクトリアル創刊500号記念号より,ただし現況は未確認)です。また、京浜東北線などの架線柱には大正時代のものがいくつか残っているようです(『鉄道風景懐古 (I)』より)。これらは、いずれも1928年(昭和3年)より古いもので、先のコラムの論理で言えば危険なものにあたる可能性があります。
 そして、山手線を含む多数の駅のホームの屋根(上屋)なのですが、1927年以前のレール(大半の輸入レールは1927年以前のものである)が大量に再利用されています。これらも、「いつ折れるかわからない」危険なものということになってしまいます。駅で使われていた古レールが撤去のためにカットされたのを見たことが何度かありますが、内部まで腐植が進んでいることは無いようなので、私は安全だと思っています。
 このように古い鉄道施設は東京にもたくさんありますが、今も殺人的とも言われる大量輸送を担う一翼として機能しております。古いから危険と言う理論はあまりにも短絡的ではないでしょうか。要はちゃんとメンテナンスができているか、だと思います。


東武東上線の古レール調査【12月20日(水)】

 ここのところ週末の出張が続いていてしんどかったので、今日は会社を休み、午後から東武東上線東京都内分の古レールを調査してきました。今日は成増→東武練馬と調査しましたが、東武練馬→池袋を被り付きで確認したところ、大量の古レールがあるようです。あれを全部見るとなると、かなりうんざりです。
 今回の感想ですけど、東上線のホームは相対式が多いためか、狭くて調査しにくかったです。ある駅では構内放送の音量が小さかったため通過列車に気が付かず、ちょっと危ないシーンもありました。反省。それから、8000系が巻き上げるリジン(ブレーキパッドの合成材料)の香りも強烈でした。私はアレルギー気味なのでちょっと辛かったです。


京福電鉄で列車衝突事故【12月17日(日)】

 京福電鉄で列車の正面衝突事故が発生したようです。ここのところ鉄道事故が発生するとこのホームページのアクセス数が増加する傾向が見られます。「古レール」という言葉を「(問題となるほど)老朽化したレール」と読み間違えられてしまう方が多いのが原因ではないかと考えています。
 さて肝心の事故の方ですけど、原因はブレーキ故障ではないかとのことですが、NHKのニュースではATSが設置されていないことが強調されていました。ブレーキが故障すれば、ATSは無意味です。鉄道事故=ATSが原因と結び付けるのはあまりにも「馬鹿の一つ覚え」的に思います。本来の単線の鉄道システムなら、ATSより原始的ではあるが確実な方法として、暴走した列車を脱線させるための分岐器なとが設置されているはず(路線の分岐駅ならなおさら)なので、設置の有無や機能していたかどうかといった点にも光が当てられるべきではないかと思います。
 最後になりましたが、事故で亡くなられた社員の方のご冥福を御祈りするとともに、怪我をなされた方々の1日も早いご回復をお祈りします。

12月23日補遺

 列車を脱線させるための分岐器(安全側線のことです)があれば、事故は起きなかったとしましたが、強制脱線の後の車両の接触の危険性や逃げ出した乗客の安全の確保を考えると必ずしも正解とは限らないと行った内容のことが@niftyの鉄道フォーラム(→ リンク集)で交わされていました。それも一理ありますね。ということで、上記のこの部分については、消し線を入れました。


江東区の浅間神社に行ってきました【12月10日(日)】

 鉄道ピクトリアルの2001年1月号を見ていたら、浅間神社というところに溝付きレールが展示されていることが記事に載っていました。ずっと気になっていたのですが、時間ができたので行ってきました。
 都会の中の神社ということで緑のオアシスを期待し、ちょうど昼だったのでコンビニで弁当を買って行きました。現地に到着してみると、再開発地帯の真っただ中に位置しており、神社自身も再開発に伴って移転されたようで、木などなく、周りは更地と高層マンション,首都高速と実に殺風景な場所でした。おまけに近くのお年寄りが次から次へとお参りに来られて、弁当を食するのは非常に気まずかったです。
 レールの方は念願の溝付きレールを見ることができました。でも、説明看板の記事には間違いを見つけてしまいました。


本編の執筆に集中しています【11月18日(土)】

 最近出張が続いたり、体調が芳しくなかったりで、本編の執筆に全力を注いでいるため、このコーナーの執筆は滞っています。しばらく、お待ちを....。


満鉄マーク入り古レールを発見【11月5日(日)】

 ここのところ暇を見つけては、高架化工事が(ようやく)始まっているという中央線に出掛けています。この日は、武蔵境駅を訪れたのですが、改札内の跨線橋に満鉄マークが入ったレールが多数利用されているのを発見しました。残念ながら塗装が厚いため製造社名は読み取れなかったのですが、見えている部分の刻印の内容と既存資料などをもとにすると、STEELTON で間違いなさそうです。
 満鉄マーク入りのレールについては、『レールの趣味的研究序説』に、仙石線本塩釜駅のホームと東北本線南浦和駅近くの跨線橋にあると記されているものですが、同記事が書かれた時の本塩釜駅は高架新線化による移転のため現存しておらず、南浦和でも確認できずでしたので、幻のレールと化していました。
 武蔵境駅の跨線橋も行く末は長くなさそうですから、何らかの保存の手だてを願いたいものです(日本の歴史から見ると、微妙な部分でもありますので、どのような保存が好ましいかは、検討が必要かもしれません)。

(※ 11/18現在、武蔵境のリストに、このレールのデータは追加できていません)


JR大宮工場公開【10月28日(土)】

 JR大宮工場の一般公開に行ってきました。同工場については、昨年度の公開時にチェックして、古レールは無いと思っていたのですが、古レールがクレーンの支柱に使われているのを発見しました。この1年間、古レールに注目して見てまわったので目が肥えたと言うことでしょうか。


古レールなど見てまわる【10月26日(木)】

 今日は平日でしたが、先日来の体調不良の治療のための通院日だったので、ついでに1日休みにして、リハビリがてら、あっちこっち出歩いてきました。
 まず目黒へ行って、山手貨物線と山手線にかかる古レールでできた白金桟道橋を探訪しました。その後、山手線を内まわりでまわると、今日は山手線のリフレッシュ工事で京浜東北線の線路を使っての京浜東北線との相互運転日だったので、外側の線路(京浜東北線用)を走る山手線電車や内側の線路(山手線用)での工事作業の状況などを堪能しました。
 この後、京成方面に向かう予定だったため、日暮里駅に来たのですが、内側線の電車が走っていないので、その上下(外まわり,内まわり)線の間にある古レールで出来たホーム上屋の支柱を人の邪魔にならず見学できる貴重なチャンスでもありました。ちょうど双眼鏡を持っていたので、古レールの刻印の調査ができました。
 京成へは、京成高砂駅に保存展示されているという古レール製の同駅で使われていたホーム上屋支柱を見に行くのが目的の一つでした(情報は、以前メールで頂いていたものです)。展示品は、1911年のカーネギー製で京成の初代レールとのことです。ホーム上屋に使っていた形のまま展示した点については、なかなか評価できるものと感じました。ただ、このカーネギーには発注者名として I R J(官鉄)の名が入っていたのが、気になりました。本当に初代レールで間違い無いのでしょうかネェ。


江古田にて【10月21日(土)】

 久しぶりに学生時代の友人たちと新宿で飲みました。ひとしきり飲んだ後、メンバーの一人が酔い潰れてしまいました。聞けば自宅は大江戸線の新江古田とのこと。江古田というと知らない土地ではありません。ということで、強制送還してきました。
 強制送還の後、西武江古田駅へ抜け、西武線を利用したのですが、手持ちの SF メトロカード(営団地下鉄のフェアスルーカード)での乗車となりました。よく考えるとこれがパスネット初体験でした。トホホ。
 ということで空を仰ぎながら跨線橋を渡ると、目に映ったのは、「G.H.H. 1926」に「H-WENDEL ....」。終わってますな ..... 。


パスネット・カードで古レール調査も便利に【10月15日(日)】

 昨日より、首都圏民鉄の共通フェアスルー・カードシステムであるパスネットが運用開始となりました。
 今まで、民鉄の各駅の古レールを調査する場合、乗車駅であらかじめ下車となりそうな駅を予想しておいて切符を購入し、古レールのある駅を見つけては電車を降り、調べてまた電車に乗りということを繰りかえし、下車予定駅で下車するという方法を使っていました。この場合、途中で腹が減ったりして下車する必要が生じると、切符を前途無効として途中下車せざるを得ませんでした。
 今度からは、パスネットカードで乗車して、後から好きな駅で好きなタイミングで下車できるようになるので、古レールの調査にとっても大助かりです(JRには、イオカードがあるので、このような使い方を行っていました。民鉄の場合も、よく考えると、最低運賃で乗車するという手がありましたネ)。


鉄道フェスティバル【10月14日(土)】

 東京は日比谷公園で開催された鉄道フェスティバルに出かけてきました。お目当ては、パスネット導入記念の各社のパスネットカード詰め合せ台紙付き(\16,000-)でしたが、私が会場に到着した昼過ぎには限定500個はとうに売り切れていました。
 さて会場でのことでしたが、ふとJR貨物のブースを除くとレールが飾られているではありませんか!。それも刻印部分だけをカットした上に、木製の立派な台座付きでした。モノは、門司機関区にあったものだそうです(門司機関区にあった古レールの刻印はこちらから)。気楽な気分ででかけていただけに、ちょっと衝撃的でした。
 その他と言うと、在阪の私鉄会社がレールのスライスを文鎮として売り出していたほか、上信電鉄さんが「UNION 1922」の刻印部分だけをカットしたものを売っていました。私は、ちょっとソソられましたが、購入は我慢しました。


西武鉄道にリベンジ【10月9日(月)】

 「リベンジ」という言葉で、流行語の賞をとったのは、西武ライオンズの松坂投手(後日注:彼が道路交通法違反で書類送検されたのは10月13日です)でしたが、私は今日西武鉄道にリベンジを果たしてきました。
 というのも1年前のこと、鉄道の日関連企画ということで、西武秩父線の横瀬駅で開催されていた工場公開イベントに参加しようと出かけたのですが、JR武蔵野線、西武池袋線と乗り継いで飯能に到着したところ、そのまま横瀬に向かっても14:30で終了してしまうイベントにギリギリ間に合わないことが判明し、泣く泣く引き返したことがあったからです。今年は、ちょっと早起きをして無事見学会に参加し、見事リベンジを果たせました。

 その1年前のこと、飯能からそのまま引き返すのはもったいないので、西武池袋線を上りながら駅の古レールを調べてみました。結果、古レールが豊富に残る同線ですので、データを大量に集めることができました。その整理をしようとして、HTML で書き始めたのが、「古レールのページ」の始まりだったりします。


ブランドって?【10月2日(月)】

 会社からの帰り道、カメラ量販店の家電売り場に立ち寄ったのですが、隣にいた女性が「ブランド」という言葉を使っていたのが気に留まりました。なるほどいわゆるブランド品で身を固めた方でしたが、彼女は有名家電メーカーのことをブランドと呼んでいたようです。私は、「じゃあ、ブランドじゃない会社ってどこ?」と心の中で突っ込みを入れてました。
 ちなみに、この言いまわし、レールメーカーにも使えなくはないです。例えば、「この CAMMELL ってブランドのレールは 1880 年製で、超ビンテージみたいなぁ」などと使えそうです。でも、ちょっと変ですね。

※ 今年、食中毒で世間を賑わした雪印の英名は、"SNOW BRAND" でしたね。ブランドって言葉は主観の上にだけ成り立っているのでしょうか?。


十条駅の跨線橋から古レール数本消える【9月25日(月)】

 会社からの帰り道、私は池袋から通勤快速停車駅の武蔵浦和まで埼京線を利用しています。埼京線には、途中の赤羽までの電車と各駅停車が続くダイヤパターンがありますが、このパターンの場合、電車を2本待って通勤快速に乗った方が早く帰宅できることがあります。
 今日もこのパターンだったので、途中の十条駅で下車し時間調整しました。十条駅には古レールで作ったホーム上屋と跨線橋があるので、これらを眺めつつ電車を待ちました(私は、時々やっています)。

 十条駅の跨線橋では、9月の初めからエスカレータの設置工事を行っているのは、通勤電車の車内放送で知っていたのですが、今日見てみたところ、上り線の赤羽駅方の階段部分は完全に撤去、下り線の階段(そもそも赤羽方のみ)は一部屋根付近が撤去となっていました。ここ古レールがあったんですよね (T_T)。十条駅の跨線橋は八幡製鉄の比較的ありふれた年代の古レールでできているのですが、撤去された部分には、やや珍しい八幡製鉄の初期のレールが使われていたと記憶しているだけに残念です。

 なお、下り線側の階段には、「(丸Sマーク) NO 75 A   1912」というレールがあったのですが、バーナーで切断された見難い断面をさらしておりました(合掌)。


廃止間近?名鉄各線の古レール【9月22日(金)】

 名鉄古レール巡りの第2段です。今回は、来年秋に廃止されるかもしれないとされる名鉄の岐阜県内のローカル線の4線区のうち3つを巡るのが目的です。

 まず新幹線で岐阜羽島に出て、竹鼻線の末端部分。ここには珍しい古レールはありませんでした。次に新岐阜へ出て、市内線を経て谷汲線へ。期待していた谷汲駅のホーム上屋は木製で古レールはありませんでした。途中の各駅では待合室の柱に古レールを見ましたが、刻印は調査していません(要するに通っただけ)。
 最後に、揖斐線の終着駅の本揖斐ですが、ここには古レールで作ったドーム状の大きなホーム上屋がありました。すでに日が落ちてしまったので十分な調査はできず、古レールは目の高さしか見れませんでしたが、1880年代アメリカ合衆国製の古レールが確認できました。ここを最後にしたのは失敗でした。機会があれば、また訪ねたいものです。

 このあと、タクシーで近鉄揖斐駅に出て(\1,100円)、近鉄養老線で大垣に出て帰りました。大垣ではもう調査しないつもりでしたが近鉄駅のホーム上屋の柱に紀和鉄道発注の CAMMELLを見つけてしまいました。

 なお、廃止の可能性の高い名鉄の各路線のうち、残る一つは御嵩線ですが、御嵩駅のホーム上屋は木製だったことを、以前車で立ち寄った際に見た記憶があります。

12月23日訂正

 廃止の可能性の高い4路線の1つを御嵩線としておりましたが、八百津線の誤りであったようです。内容を一部取り消すとともに、地元の方々ならびに関係者各位に御詫びいたします。


名鉄名古屋本線の古レール【9月17日(日)その1】

 会社のリフレッシュ休暇制度を利用して米原の実家に帰省していました。そこをベースキャンプにして何日か名鉄を見てまわることとしました。

 この日は、以前ちょっとだけ古レールを見たことのある新岐阜を調査した後、知立駅の古レールの調査をしました(これが主目的でした)。知立駅には『レールの趣味的研究〔補遺〕』にウスリー鉄道発注の1891年7月製が1本あると紹介されているのですが、同駅は高架化の予定で撤去となる可能性が出てきましたので、緊急調査といったところです。
 結果から言うと、ウスリー鉄道の文字が入ったレールは2本見つかりました。その他、ロシア製レール数種とアメリカ合衆国の初期の中小メーカーのレールが見れました。

 その後、豊橋まで抜けたのですが、もう撤去されたとあきらめていた古レール製のホーム上屋が健在でした。ここからは、1870年代製の古レールが2種類も出てきてびっくりです。


知立にて【9月17日(日)その2】

 余談ですが、知立で古レールを見ていたところ「やってますな」と声を掛けてこられた方が居ました。この方からはホーム上屋の支柱にあった奇麗な刻印の古レール(CAMMELL の 1897年製)を教えて頂きました、ありがとうございました。また、三河線の方を指差してロシヤ製レールがあっちの方にあると教えてくださいました。ところで、その情報元って、「古レールのページ」じゃないでしょうね (^_^;。


静岡遠征【9月9日(土)その1】

 @nifty鉄道フォーラム旅行フォーラムのメンバー同士の結婚を記念して走った臨時列車イベントに参加するため、天竜浜名湖鉄道と弁天島温泉を訪れてきました。お二人に幸あれと、この場をお借りして祈念するしだいであります。
 途中、天竜浜名湖鉄道の天竜二俣で運輸区の見学会がありました。同駅には、現役ではないもののタブレットの授受のための装置が保存されているほか、運輸区では転車台が現役使用されていました。私は構内のレールばかり見ていたのですが、CARNEGIE の1911年製が1本確認できた以外にレールの刻印は読み取れませんでした。錆び付いて消えてしまっているようです。やっぱりペンキなりで保護してやらないとダメなのですかねぇ。


「レール」ファンと伴に【9月9日(土)その2】

 さて、そのイベントの参加者の中に、私以外に古レールに関心を持って調査を続けておられる方がいました(この HP にもお誉めの言葉を頂きました。ありがとうございました)。実は私以外に古レールを調べている方に直接お合いするのは、初めてだったりします。
 イベントの途中の列車の待ち時間を利用して、弁天島、新所原、鷲津で駅のホーム上屋の古レールを調べてまわりました。お互い、各メーカー名は頭の中に入っているし、その刻印の記録時の留意点(ピリオドやハイフンの有無)もわかっているので、要所を押さえた必要最低限の会話だけで、淡々と調査を行っていきました。いつも1人で調べていただけに、今まで味わったことの無い新鮮で、刺激的な体験でした。今後も機会があれば、複数人での古レール調査を行ってみたいものです。


中日ドラゴンズと古レール 【9月1日(金)】

 筆者が応援しているドラゴンズが首位ジャイアンツとの天王山初戦に破れて、ジャイアンツにマジックが点灯しました。
 思えば昨年秋のこと、長期出張先の富山にて、見るに耐えない日本シリーズ(ドラゴンズ対ホークス、ホークスの一方的勝利)から逃れるため、富山地鉄市内線に乗っては毎夜、JR富山駅に通って古レールを見ていました。その時蓄積されたデータがこのサイトの基礎になっていたりするんですよね (^_^;。

#富山は民報の数が少ないので、日本シリーズ以外の面白いTV番組を探すのは辛かったのです。


JR大井工場の公開 【8月26日(土)】

 JR東日本の大井工場の工場公開に行ってきました。ターゲットは工場内にもしかしたらあるかもしれない古レールでした。古レールが建物の柱に使われているのを見つけましたが、立ち入り禁止域となっており、近づくことができませんでした。
 刻印を読むのは諦め、写真だけを撮って帰ろうと思っていたところ、良く見ると刻印が見えるじゃないですか。しかも読めるのは、CAMMELL の1884年製ばかりという凄いものでした。
 そのあと、東急大井町線経由で古レールを調べながら帰宅しました。


鉄道ピクトリアルの私鉄特集の古本の値段 【8月19日(土)】

 『鉄道廃線跡を歩く VII』に載っている古レールに関する文献のうち、鉄道ピクトリアルの東武特集と西武特集に載っているものがあります。池袋を通勤ルートとしている私にとっては、両鉄道は親近感あるものですから、交通博物館でのコピーではなく本の形で持っていたいと思い、神保町の古本屋へ探しに行くこととしました。
 鉄道関係の古本の数の多いS村書店でどちらも発見できたのですが、プレミアがついていて、9,000円前後もするのですよね。結局、購入はあきらめちゃいました。


「なんでも鑑定団」を見て 【8月8日(火)】

 出張先で、テレビ東京系の「なんでも鑑定団」を見てました。ご自慢のお宝に価格を付けていく番組なのですが、見ていて、古レールの価格についてちょっと考えてしまいました。レールの価格については、新品も含めて私には、さっぱりわからなかったりします。とにかく古レールの場合、一見貴重なものがその辺にぶっ刺さっていたりしますから、価値を見極めるのは難しいですね。
 ちなみに、その時泊まっていた宿は、架線柱に古レールが大量に利用されている秩父鉄道の線路脇だったりします。


交通博物館にて 【7月23日 (日)】

 古レールに関する資料を集めるため、交通博物館に出かけてきました。久しぶりだったので展示室をぶらついていたのですが、展示室内でいろいろと古レールを発見し、勢い刻印を読むことになってしまいました。中でも1号機関車の下にあるレールがちゃんと双頭レールであるのには驚きました。まくら木やレールの固定具もしっかりしてあるものの、陰になる部分のレールの継ぎ目が繋いでない(継ぎ目板で止めていない)のにも気がついてしまいました。
 本屋で「山手線占い」の本を発見。山手線占いは、講談社の東京一週間で見掛けたかな?。さて、私の場合は浜松町駅でした。浜松町じゃ古レール無いじゃないかぁ。


Photo-CD は使えるゾ 【7月22日 (土)】

 Photo CD を引き取りに行った後、このサイトへ掲載するための画像処理を行ってみました。シャープさはフラットスキャナに比べればやや良と行ったところの様でしたが、明るさやコントラストの調整には、かなりの無理が利く感じで、予想以上に良さそうです。さすがに値が張るだけのことはありますね。


両国駅のあのホームに立つ 【7月21日 (金)】

 JR東日本千葉支社が企画したビール列車(485系お座敷電車「なのはな」使用)に乗ってきました。この列車、普段は旅客用には使用されていない両国駅の3番線からの発車と言うことで、滅多に立ち入ることのできない両国駅3・4番線に入ることができました。
 ところが、この3・4番線のホーム上屋が古レールでできていまして (^_^;、発車前にほとんど1番乗りでホームに上がらせてもらった後、きっちり古レールの調査を行なってきました。詳報はいずれオモテにも書く予定ですが、国鉄および日本鉄道発注の古典レール(ここでは1885〜1895年製がメインだった)が多かったです。組み合わせ的には首都圏ではそれほど珍しくはないですが、ペンキの重ね塗りなどが頻繁に行なわれていなかったらしく、鮮明に読めるものが多かったのは収穫でした(反面、塗料がひび割れ状に剥離した結果、全く刻印が読めないものも少なくは無かったです)。


Photo-CD は使えるかな 【7月16日 (日)】

 このサイトで使うための画像の取り込に使う機器を検討してみました。今までは会社のものを使わせてもらっていましたが、いろいろと問題があるし、自由が効かないので、自前のものを持ちたいと考えていました。
 フラットスキャナはピントが甘いという噂を聞いていたので、ただでさえ不明瞭なものの多い古レールの写真には不向きのようです。そこで、フィルムスキャナが第一候補でしたが、新品は予想以上に高い値段でした。中古品やアウトレットも探してみたものの、出玉が少なく、導入は再検討となりました。
 代わって候補に出たのが、Kodak の Photo CD でした。こちらも単価は結構高めであるものの、フィルムスキャナの価格を考えると、トントンとなりそうです。フィルムスキャナの場合、所有してしまうと場所もとりますので、Photo CD は良い選択肢になるのではないかと判断しました。
 とりあえず、ここ数ヶ月撮り貯めていた写真を Photo CD にして、様子を見てみることにしました。


CT-Scan を受ける (^_^; 【7月11日 (火)】

 先日来の体調不良の原因を探るということで、隣町の総合病院でCTスキャンの診察台という乗り物に乗ってきました。台は体の長手方向に、数 cm ごとに移動しながら体の断面画像を採取していたようです。数 cm の移動でも加速Gを感じるのですね。ベッドの作りは程よく、乗り(寝)心地はなかなか良かったです (^_^;。さて検査も終えて、車を止めていた駐車場へ戻っていたのですが、途中、鋼材の上に鉄板を引いただけの簡易な橋を見つけました。ところが鋼材の上面が妙に黒光りしているので気を止めてみると、その鋼材は古レールでした。刻印は確かめてみたのですが、読めませんでした。
 病院から返った後、時間が余ったのと今日は体調が良かったので、気分転換に川越線南古谷の気になる古レール(刻印の文字が右から左へ書いてある)の写真を撮りに行ってきました。ついでに高麗川までの古レールを見てきましたが、駅に古レールがあったのは西川越だけでした。帰りに見ていこうと思っていたのですが、途中で気分が悪くなったので、そのまま帰りました。


南浦和の人道跨線橋 【7月9日 (日)】

 ちょっと時間ができたので、久しぶりに古レールの調査にでも出かけようと思ったのですが、先日来の体調不良も考慮に入れて、近場で済ますことに....。『レールの趣味的研究序説』に満鉄の社紋入りのレールが残っていると記されている2箇所のうちの1箇所である南浦和駅近くの人道跨線橋に行ってきました。普段だと近すぎてわざわざ出かけるような場所ではなかったので、今回の訪問は、よい機会でしょう。
 さて古レールですが、京浜東北線側には、1880年代の超古典的レールのオンパレードで感動モノでしたが、肝心の満鉄社紋入りは確認できませんでした。塗装が厚いものが多かったことのほか、東北貨物線側の階段部分が立て替えられているので消滅してしまっていることなどが原因でしょう。


更新は休憩中 【7月4〜6日 (火〜木)】

 ここ数ヶ月来、体調がすぐれなかったのですが、この日は特に体調が悪かったので会社を休みました。HPの更新も気力が無く、ほったらかしとなっています。


Train Directory にようやく登録 【7月1日 (土)】

 私用で東武野田線(大宮〜岩槻)を利用しました。各駅の古レールをチェックしたところ、既報の大宮・北大宮以外では、岩槻駅の跨線橋に古レールが確認できただけでした。
 この日、@nifty の鉄道フォーラムが運営する TRAIN Directory に当サイトをようやく登録しました。サイトのサーバーへの最初のアップロードが1999年11月1日でしたから、ここまで8ヶ月かかったこととなります。


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