5.2 古レールの刻印の調査 (民鉄)5.2.1 古レールの刻印の調査 (在京大手以外の民鉄)1st wrote at 2000.04.18 / Last update at 2006.09.13
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駅・路線ごとの古レール確認リストのうち、民鉄各線のものです。在東京の大手民鉄に関しては、次節以下の「刻印の調査(在京大手民鉄編)」,「刻印の調査(東武・西武編)」にあります。
民鉄の古レールを見ていると、多数の製造者の古レールが見られる鉄道では、その車両に関しても非常に雑多であったりと関連性が見られるようです(例:西武鉄道,名古屋鉄道)。各鉄道会社のポリシーが現れているようで興味深いです。
路線(50音順) |
(pref.8) 関東鉄道関東鉄道は、竜ヶ崎線と常磐線・水戸線を結ぶ常総線の2つの路線があります。常総線では、駅施設に古レールの再利用は確認できませんでした。 竜ヶ崎線は、線路脇に境界柵がところどころあります。これらのうち、竜ヶ崎駅近辺(駅舎付近〜自転車置き場)のレールを観察しています。この付近の境界柵には、錬鉄製平底レールが多数見られました(刻印不明瞭)。その他、30kg(60Lbs)ASCEレールも柵として使われていましたが、刻印は読めませんでした。 なお、『レールの趣味的研究序説〔再補・下〕』に、「底面幅103mmに対して、高さが123mm(現況)もある背の高いレールがあるが、これあたりが(引用者補:HTレールの)はしりであろうか」と書かれたKRUPPレールは、存在を確認できませんでした。また、『レールの趣味的研究序説〔再補・上〕』に紹介されている、「錬鉄製平底レールを補強に使った竜ヶ崎市内の民家」は、既に建て替えられています。 |
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竜ヶ崎駅:古レール利用の境界柵
いくつかは、錬鉄製平底レール
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(pref.10) 上信電鉄上信電鉄では、架線柱に古レールが使われています。「下構一三甲(S26.8)」などとあるのは、架線柱の番号札の表記です。明姫電気鉄道(開業時は神戸姫路電鉄)の発注者名の入った G.H.H. 製レールや (ドーマンロング社)製レールなどの写真を京都在住の O さんから頂いた写真を元に現地を訪問し、周囲で観察可能であった古レールを調査しました。 下似田駅では、広い駅構内の周囲に本線から離れた箇所に架線柱が並んでおり(かつての貨物側線が使用停止となったため)、これらの観察が容易かつ安全にできます。
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【凡例:(S) 下似田 (C) 下似田-千平 (N) 南蛇井 (Y) 上州一宮 (M) 馬庭】 |
下仁田駅:古レール利用の架線柱 |
(pref.11) 秩父鉄道(除:武州原谷,寄居)秩父鉄道については、『鉄道史見てある記』に「T型レールを架線柱に使った鉄道の代表は秩父鉄道であって」と紹介されているとおり、古レールを利用してつくられた架線柱が多数見られます。現在でもその数も架線柱全体の8〜9割に達するのではないかという非常に高い割合(三峰口〜熊谷)となっています。これらの架線柱は、2本の古レールの平底部分を溶接し、地面と接する部分を股開きにした形状で、多くは開きの向きが線路に直交方向ですが、線路に平行なものも見られます。その他、秩父鉄道では古レールの再利用が盛んだったようで、駅舎の支柱などにもふんだんに古レールが見られます。 なお、秩父鉄道で見られる古レールのいくつかについては、『秩父鉄道 沿線観察学』の中にもリストアップされています。 |
【凡例:(M) 三峰口 (S) 白久 (H) 武州日野 (G) 影森
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武州中川駅羽生方:
古レール使用の架線柱 |
(pref.11) 武州原谷貨物駅周辺(秩父鉄道)秩父鉄道のうち、武州原谷貨物駅の周辺で見かけた古レールです。1900年前後の年代のものが多く、首都圏のJR駅(東十条など)のホーム上屋で見かけるものに似通っている点が興味深いです。 |
【凡例:(H) 武州原谷駅三峰口方の踏切り周辺の境界柵 (O) 大野原からの構外側線の
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(pref.11) 寄居駅(秩父鉄道)秩父鉄道のうち、寄居駅でホーム上屋を中心に見かけた古レールです。ホーム上屋の支柱は東武鉄道の初代レールがメインとなっており、STEELTON なども東武鉄道沿線で見られるものと同年代のものでした。したがって、これらは東武鉄道から来たものと言えそうです。その他、見慣れない年代のレールがいくつか(TENNESSEE, UNION)見られました。 |
【凡例:(3) 3,4番ホーム(秩父鉄道のホーム)】 |
(pref.12) 千葉県内私鉄(未分類分)千葉県内の私鉄沿線の古レールのうち、未整理のものです。いすみ鉄道(旧国鉄木原線)に乗車した際、上総中野駅の荷物用と思われる上屋の支柱に古レールが確認できました(しかもなぜか CAMMELL)。沿線では線路を横断する水路橋などに古レールを見ることが出来ました。大多喜町町内で、「旧木原線の30キロレール」のシールの貼られたレールスライスを見掛けましたが、ASCE断面ではないように感じました。 流山電鉄を調べたことがありますが、沿線からは古レールは確認できませんでした。聞くところによると、流山の車両基地の門に古レールが使われているそうです。 北総開発鉄道は、京成高砂(千葉県内は矢切から)〜東松戸間で、古レールは確認できていません。 |
【凡例: (N) 上総中野】 |
(pref.13) 東京都内私鉄(未分類分)東京都内に関する未分類は、今のところ作っていません。東京および首都圏の民鉄で見た古レールに関しては、「在京大手民鉄」「東武・西武」に整理していますので、参考としてみて下さい。 以下は、ここで挙げている以外で、東京都内の地下鉄線とモノレールを除く各路線のうち、少なくとも駅ホームに古レールが見られないことが確認できている路線です。
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(pref.14) 神奈川県内私鉄(未分類分)神奈川県内の私鉄沿線の古レールのうち、未整理のものです。横浜高速鉄道長津田駅のホーム上屋に古レールが利用されています。同線は最近まで東急田園都市線(長津田開業は1966年)から分岐した「こどもの国線」でしたが、前を逆上ると国鉄横浜線から延びた米軍の弾薬庫の専用線です。見つかった古レールの製造年代から考えると、このホームはそもそも国鉄の施設だったのではないかとも思えます。 |
【凡例: (N) 長津田】 |
(pref.14) 伊豆箱根鉄道大雄山線(神奈川県)伊豆箱根鉄道大雄山線では、各駅のホーム上屋などに多数の古レールが見られます。確認できた駅は下記の通りです。このうち、下線付きの駅は調査をしました。小田原,緑町(架線柱),井細田,五百羅漢,穴部(柵),飯田岡(柵),相模沼田,岩原,富士フイルム前,大雄山BOCHU の1922年製が多数見られます。この路線が大雄山鉄道として最初に開業したのは1925年ですので、初代のレールと見て良いかと思います。 小田原駅では、刻印が判読出来たのは BOCHU ばかりでしたが、他に刻印の読めない50ポンドらしきレールがありました。 |
【凡例: (O) 小田原 (G) 五百羅漢 (D) 大雄山】 |
小田原駅(伊豆箱根鉄道):
古レール利用のホーム上屋
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(pref.17) 北陸鉄道北陸鉄道は古レールの再利用に積極的だったらしく、古レールを利用したホーム上屋などを見ることができます。北陸鉄道の路線は浅野川線と石川線(石川総線)の2線が残っています、どちらも同様なようです。石川総線の西泉駅のホーム上屋には、官鉄発注の60ポンド2種を中心とする古レールが見られました。これらはJRの駅でもよく見かけるものですが、JRのものに比べて頭部の磨耗が目立ちます。官鉄から払い下げを受けた後、自社線内で再使用し、さらに上屋へ再利用したように見受けられます。 |
【凡例: (N) 西泉】 |
(pref.21) 岐阜県は .... (1)県番号21の岐阜県ですが、東海道本線的には不自然な番号です。ということで、県番号23の愛知の後ろに回します。 |
(pref.22) 静岡鉄道静岡鉄道の沿線で見た古レールです。静岡鉄道沿線では、ホーム上屋のほか、延々と続く境界柵に多数の古レールが見られます。このうち、境界柵の方は普通レールから軽レールまで様々な大きさのレールが使われていて、ちゃんと調査すれば掘り出し物がありそうですが、チェックはしていません。ホーム上屋は、全駅調査済みです。このうち車両基地のある長沼(1,2番線:新清水方面,3番線:新静岡方面)で、英国製を中心とする古典レールが多数見れます。組み合せ的には静岡県内の東海道本線のものによく似ています。このうち、CAMMELL には、塗装を剥がして刻印が見易くしてあるものもあります。その他の駅では、八幡製鉄所製やアメリカ製のレールが中心です(桜橋駅では八幡製鉄製らしきものも見られましが、不明瞭)。 |
【凡例: (K) 春日町 (N) 長沼 (F) 古庄 (B) 桜橋 (I) 入江岡 (S) 新清水】 |
長沼駅:古レール利用のホーム上屋 |
(pref.22) 静岡県内私鉄(未分類分)静岡県内の私鉄沿線の古レールのうち、未整理のものです。天竜二俣駅(旧称:遠州二俣)は、元国鉄二俣線である天竜浜名湖鉄道を訪れた時に駅ホーム上屋などで見た古レールです。CARNEGIE の 1908 年製については、駅近くの運輸区内の転車台(これも現役!)から延びた線路の車止め(レールを曲げて作った「第3種乙車止め」)部分に使われていていました(許可を得て調査したもの)。 伊豆急下田のものは、ホーム停車線の現役線路に使われていたもので、同鉄道の開業が1961年10月(『私鉄史ハンドブック』)であることを考えると、開業以来交換されていないレールのようです。 |
【凡例: (F) 天竜二俣 (S) 伊豆急下田】 |
(pref.23) 名古屋鉄道(愛知県内)名古屋鉄道のうち、愛知県内の各駅でホーム上屋の支柱などに使われている古レールです。 土橋駅の ARBED DUDELANGE は、側線部分で現役に敷設されているレールですが、名古屋鉄道で行なわれた貸し切り列車イベントの際に撮影会という許可の降りた状態で確認したものです。
なお、名鉄金山橋駅(JR駅と統合した金山駅に移転)にあった古レールについては、その刻印の解読・翻訳も含めて、『名鉄金山橋駅にあったロシヤ製レールについて』に記されています。 |
【凡例:(C) 知立 (Y) 豊橋 (T) 土橋】 |
知立駅:架線柱も兼ねるホーム上屋 | 豊橋駅:古レール利用のホーム上屋
(古レール利用はここだけ)
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(pref.21) 岐阜県は ....(2)県番号21の岐阜県ですが、23.愛知 と 24.三重 の間に挿入します。 |
(pref.21) 名古屋鉄道(岐阜県内)名古屋鉄道のうち、岐阜県内の各駅でホーム上屋の支柱などに使われている古レールです。揖斐線と谷汲線は廃止されました。いくつかの駅でホーム上屋のほか、待合室の支柱に古レールが使用されていましたが、現在はすべて撤去されています。 名古屋鉄道の各駅には古レールを利用した上屋が多数残っており、しかも保存状態の良好なものが多いようです。また、『レールの趣味的研究序説』でしばしば触れられているとおり、多数の珍しいレールが発見される鉄道路線でもあります。調査のしがいがあるのですが、筆者は名古屋近辺には用事が無いので調査の手が及ぶことは少なさそうです。どなたか「名古屋鉄道の古レール」という
WEB ページを作ってくれませんかねぇ。
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【凡例:(I) 揖斐線本揖斐 (K) 揖斐線黒野 (T) 谷汲線北野畑〜赤石
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新岐阜駅:古レール利用のホーム上屋
(写真奥はH形鋼製)
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(pref.21) 岐阜県内私鉄(未分類分)岐阜県内の私鉄沿線の古レールのうち、名鉄以外のものです。近鉄大垣駅のものは、刻印が読めたのは下記の1本だけでしたが、他のものも部分的に見えている刻印の一部から、同じものではないかと思われます。 |
【凡例: (O) 近鉄養老線大垣】 |
(pref.24) 近畿日本鉄道(三重県内)近畿日本鉄道のうち、三重県内の各駅でホーム上屋の支柱などに使われている古レールです。 近鉄富田駅へはJR関西線富田駅から徒歩で訪れました。ページ違いとなりますが、JR駅の方には見事な傘型(1支柱あたり4本使用)のホーム上屋が見られました。行程上時間がなく調査できなかったのですが、ちらっと見た限りでは1905〜1916年の八幡製鉄製がメインのようです。
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【凡例: (G) 伊賀線伊賀上野 (T) 名古屋線近鉄富田】 |
伊賀上野駅(近鉄伊賀線):
古レール使用の架線柱
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(pref.24) 三岐鉄道(三重県)三岐鉄道本線では、いくつかの駅で小さなホーム上屋に古レールが使われているのは見ていますが、駅名は記録していません。北勢線は、近畿日本鉄道から2003年4月1日に事業譲渡されました。調査は近鉄時代に終端の阿下喜駅だけ行っています。やはり、いくつかの駅で小さなホーム上屋に古レールが使われているのは見ていますが、駅名は記録していません。@nifty 鉄道フォーラム専門館鉄道歴史談話室(→ 古レールに関するリンク)によると、いろいろ変ったレールが見つかるようです。 |
【凡例: (A) 北勢線阿下喜】 |
阿下喜駅:古レール利用のホーム上屋 |
(pref.25) 近江鉄道本線(滋賀)近江鉄道本線では、以下の各駅でホーム上屋や待合室に古レールを確認しています。本線:水口, 朝日野, 朝日大塚, 桜川, 長谷野, 五箇荘, 愛知川, 豊郷, 彦根口このほか、彦根構内〜高宮(彦根〜彦根口間の東海道本線との併走区間を含む)の一部に溝付きレール等を使用した架線柱が見られます。 BARROW 1899年製レールは、近江鉄道自社発注の
OMI
の名が入っており、多数の駅で確認できました。このレールは、桜川駅の上り側側線に敷設されていたほか、クラシックトラス(ポニーワーレントラス)で有名な愛知川橋梁の脱線ガードレールにも使われていました。
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【凡例 駅:(M) 水口 (A) 朝日野 (O) 朝日大塚 (S) 桜川 架線柱:(T) 高宮−彦根口 (R) 彦根−鳥居本(彦根駅構内赤陸橋下)】
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彦根口〜高宮:古レール使用の架線柱 |
(pref.25) 近江鉄道多賀線・八日市線(滋賀)近江鉄道の多賀線・八日市線では、以下の各駅でホーム上屋や待合室に古レールを確認しています。八日市線:近江八幡(駅近傍急曲線部の架線柱),武佐,平田,太郎宮前多賀線は開業時より近江鉄道の路線ですが、八日市線は湖南鉄道が開業させた路線になります。確認したレールは、官鉄に合流した関西鉄道や大阪鉄道の60ポンド第1種レールが多く含まれる点は似ていますが、近江鉄道自社発注の OMI の名が入った BARROW 1899年製レールが見当らない点は相違点と言えるでしょう。 |
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【凡例 八日市線:(O) 近江八幡〜武佐(近江八幡駅近傍の急曲線部架線柱) (M) 武佐 (H) 平田 (B) 太郎坊宮前/多賀線:(T) 多賀大社前】
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武佐駅:ホーム上屋 |
(pref.25) 江若鉄道(廃止線,滋賀県)江若鉄道は、国鉄湖西線に道を譲って、1969年に廃止された民営鉄道(バス事業者などとして存続)です。湖西線近江今津駅近くには、江若鉄道の駅舎が JA(農協)の施設として残っていますが、この建物の支柱に古レールが使われています。その中に珍しい、WILSON & CAMMELL 製レールを見ることができます。このレールのま断面形は、60ポンド第2種レールに近似して居ます。 |
【凡例:(M) 江若鉄道近江今津】 |
近江今津駅((元) 江若鉄道):
駅舎ひさし(精米所のところ)
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(pref.25) 京阪石山坂本線,京滋線(滋賀県)京阪石山坂本線(いしやまさかもとせん)で古レールが見られるのは、以下の各駅です。1911〜1912年製レールが多く見られましたが、前身の大津電車軌道の最初の開通は1913年ですので、初代レールの可能性が高いと考えられます。しかし、京阪初代とされる C.F.I. と一緒に見られることから、出自は京阪本線の可能性も捨てきれません。石山寺(島式),唐橋前(坂本方面),粟津(石山寺方面,坂本方面),瓦ヶ浜(石山寺方面,坂本方面だが刻印×),中の庄(坂本方面,石山寺方面),錦(石山寺方面,坂本方面),京阪膳所(坂本方面),石場(石山寺方面が主,坂本方面は部分のみ),島ノ関(坂本方面,石山寺方面),三井寺(石山寺方面),皇子山(刻印×),近江神宮前(石山寺方面,坂本方面),志賀里(石山方面だが刻印×),穴太(境界柵)京阪京滋線では、上栄町の京都市役所方面行きホームに古レールが見られましたが、刻印は読み取れませんでした。また、大谷〜追分で架線柱に古レールが使用されているようですが、すぐ横を路側帯の全く無い国道1号が通っていますので、調査は困難でしょう。 |
【凡例 (Y) 石山寺 (B) 唐橋前 (W) 粟津 (H) 瓦ヶ浜 (N) 中の庄 (2) 錦 (K) 京阪膳所 (I) 石場 (S) 島ノ関 (3) 三井寺 (J) 近江神宮前 (A)
穴太】
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近江神宮前停留所:古レール利用のホーム上屋 |
(pref.37) 高松琴平電気鉄道(香川県)琴電では、琴平線の仏生山−琴平間の全駅の、古レールの有無をチェックしています。古レールが確認できたのは、琴電琴平,羽間,羽床−滝宮(? 跨線人道橋),畑田,円座,仏生山(ホーム上屋,車両基地架線柱)です。うち、仏生山駅は確認しただけで、調査は未了です。 琴電琴平駅はホーム上屋に古レールが利用されていますが、他はホーム上の待合室の支柱に使われている古レールです。
【折れ目】WES? COM???? ?O STEEL 88などと読めるレールがありましたが、再度確認に訪れたところ、再塗装されてしまい読めなくなっていました。これらの古レールは、全高:81mm (3.19 in), 頭部高:23mm (0.51 in), 腹部高:45mm (1.77 in), 底部高:13mm (0.91 in), 全幅:測定忘れ、という大きさのもので、40ポンドレール(山陽,讃岐線英形)に類似していると思われます。 |
【凡例:(K) 琴電琴平 (Z) 羽間 (T) 畑田 (E) 円座】 |
琴電琴平駅:古レール利用のホーム上屋 |
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