剛の者で天文十二年尾台城の戦いでは広瀬郷左衛門と争い城主、尾台又六の首をとると宣言して首を取った。各地の戦いでめざましく働き、西上野の攻略の時、信玄が降参してきた敵に太刀をやり、正左衛門には脇差しをくれたので怒って投げ返したという逸話が残っている。信玄秘蔵の家人なので笑って過ごしたが、このようなことは家中でただ一人だった。正左衛門には二つの癖があった。一つはケチなこと。もう一つは訴訟ごとを起こすことであった。
天文十七年、板垣信方が戦死した後、その同心被官を嫡子弥次郎信憲が引き継いだ。信憲は侍大将として諏訪郡代を兼ねたが、父同様に同心から段銭という年貢を徴収した。これはわずかなモノであるが、寄親が軍役に使うモノで、信方は正左衛門をかわいがっていたので徴収を許されていた。ところが板垣信憲はこれを強要した。「他の同心が払うのに、正左衛門だけが払わないのはおかしい。父が目をかけていたとはいえ、この度からは違う。わがままを言うのにもきりがある。だいたい不届千万だ」といった。すると正左衛門はカンカンになって主人の板垣信憲を怒鳴りつけた。「先の殿様の仕方を成されるのが子としての筋というモノ。わしは払いませんぞ、一文たりとも!立って欲しいと言われるのなら、その首を打ち落としてしんぜんましょうぞ!この分からず屋め!」正左衛門の言うのはこじつけで、本心は払いたくなかったのだ。これはやはりケチというモノである。
板垣は職である山県、原に、「信玄公に申し上げてらちをあけてくれるように協力してくれ」と頼んだが、両人は取り合わなかった。仕方ないので、長坂釣閑斎と跡部大炊助に助力を依頼した。長坂、跡部は信玄の機嫌のいいときにこのことを申し上げたところ、信玄は腹を抱えるように笑い出した。信玄が声を立てて笑うと言うことはほとんどなく、これは珍しいことであった。信玄はさんざん笑った後、「曲淵めはものを知らぬやつだ。犬のような奴ではないか。犬は花壇を踏み荒らし、棒で追われるとその人に吠えつくモノだ。しかし、鹿や狐を追わせると他の者ではまねができない。曲淵は合戦につよいからそのような者であろう」そしてこの話は立ち消えになり、正左衛門のケチと言うことが家中に広まった。
公事訴訟では、こんな風だった。正左衛門の好きな者は言うまでもなく合戦だった。がその次ぎに好きなモノは訴訟であった。好きと言うよりも明らかに「訴訟癖」であった。四十二、三歳の頃までに七十四、五回もしたが、そのうち勝ったのと和解したのが一回あっただけで後は皆負けた。
おそらく気に入らないと難癖を付けて公事奉行所に訴えるというようなことをした。そのときも負けたしまったが、かれは腹を立てて「今度のは負ける訴訟ではなかったが、負けもうしたのは、贈り物をしなかったせいでござろう。わしの在所にはさらし柿がどっさりあるから、この次はもって参りましょう」と雑言した。
公事奉行は四人である。侮辱されてしばらく黙っていたが、上席の桜井安芸守は信玄の親戚でもあるから黙っていられなかった。「曲渕殿の言い分は上様を軽んじるものであろう。われわれは上様が定めた法度にしたがって裁いておる。重ねて公事をすると場合は正しい理屈をもって参られたい。たとえ金銀米穀を積んで参っても負けは負けというもの。お分かりであろうな?」
正左衛門はこの言葉を聞くと、ぷいと席を立って家に帰り、刀を差して叉奉行所に戻ってきた。そして桜井安芸守らの前に、いかにもいんぎんに手をつき、「桜井殿には地位や肩書きではたしかに負けもうす。しかし、斬り合いでは儂の勝ちですぞ。口惜しく思いなさるなら、お出会いなされませ!頭を切り砕いて進ぜましょう」と言って膝を立てた。奉行衆は青ざめて一言も発せず、悠々と帰宅した。桜井安芸守はこれほどまでに侮辱されて泣き寝入りはできなかった。されは三人の奉行衆と共に、躑躅が崎の信玄の館に行った。
信玄は四人の顔を見て何か重大な事件が持ち上がったと思い、遠慮なく言うように促すと、桜井が涙を溜めて正左衛門の一件を話した。そして正左衛門を成敗しないかぎり奉行をやめたいと言った。信玄はなんだそんなことか、と言う顔をちょっとしたが、すぐまじめな顔になり「そちたちの言う事はいかにももっともだ」と言い「曲渕めはけしからん。板垣の小者だった曲渕めはその方たちを敬うのが筋なのに、そのような雑言をはきおって。たしかにわしをも軽んじたことになる。しかし、まあ聞いてくれ、わしが前に板垣弥二郎から同心、被官を取り上げ、弥二郎を寺に押し込めたのは皆も存じておろう・・・」諏訪郡代の弥二郎は仮病を使い出陣を怠り、郡内の仕置きも余りよくなかったため、天文二十二年に甲府大泉寺に押し込められた。奉行たちもそのことはよく承知していた。「ところがあヤツ、山県隊を命じたにも関わらず、信方に世話になったと申し、息子の弥二郎を守護して寺にいた。馬鹿な弥二郎でも主人と思ってな。そんな折り、弥二郎はたまたま用事で来た本郷八郎左衛門に慮外して切られた。八郎左に聞いてみると、弥二郎の方が悪いから、八郎左の方は座敷牢に閉じこめるだけにした。だが、曲渕は何を勘違いしたのか、わしが殺したものと思って、このわしを付け狙いおってな・・・」桜井安芸守たちは話の大筋を知っているが、正左衛門がお館信玄をつけ狙っていたとは初耳であった。「そのとき、流罪にでもしようかと思ったが、わしは正左衛門を呼びつけて叱った。そして誓詞をかかせただけで済ませた。利に付かず、よく信方の恩を忘れぬ心根にわしはひどく感心したのだ!」
信玄は言葉を切って奉行の顔を順番に見た。奉行連の感情の中にも正左衛門の一筋の心意気が見えたのだ!「正左のやつ、涙を流していたわ。それからあいつ、暇なときは摩利支天経を日夜読み、合戦での働きを祈願しているそうじゃ。字が読めないのでだれかに読んでもらって覚えたものであろう。あのようなものはまるで猫のようなものじゃ。猫というものは飼い主にも心なつかず、きれいな部屋の中にも平気で糞をする。しかしネズミを良く捕る。曲渕も猫じゃ。合戦の功名はネズミにとるのに等しい。ああゆうやつもいなくては、我が家は大きくなりえないであろう。どうだ、わしに免じて許してやってくれ。わしからその方たちに頭を下げて頼む。」こう言われては四奉行は成敗を要求できず、とうとう許した。
正左衛門はこの後、猛牛のように戦場を駆け回った。長篠の合戦でも生き残り、武田家滅亡後は家康に仕えた。文禄三年まで生き、七十六歳でこの世を去った。戦国武士としてはかなりの長寿である。彼は甲州勤番として行政にも当たり、武骨者らしからぬ手腕も発揮している。お墓は北巨摩にある。
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