関連人物と同心、被官

山県相備え組衆

朝比奈駿河守

150 騎

松尾

100 騎

大熊備前守

30 騎

相木市兵衛

80 騎

奥平美作守

150 騎

菅沼新三郎

40 騎

長篠

30 騎

三浦右馬助

40 騎

三浦兵部

20 騎

孕石主水

2 騎

 その他同心、被官あわせて総勢 980 騎。弘治二年のころは以下の部隊も付けられた。
小笠原信嶺 100 騎
下条伊豆守 150 騎
松岡新左衛門父子 50 騎

 このころの一騎は二、三人から五人の従兵を従えており、総動員するとかなりの人数になるが、相備え衆は方面によって出陣しないこともあり、出陣したとしても半数から三分の一程度である。よって 2000 - 3000 程度の兵を常時率いていた。
 あるとき、北条氏康がその総人数の中で、感状をもらっているものがいくらあるか調べたところ、三通以上持っている者は八十七人にすぎなかった。これを聞いた信玄が、自分の所ではどのくらいあるかと、まず山県隊と馬場隊を調べてみたところ、三通以上持っている者が

 山県隊三百騎中六十七騎、馬場隊二百二十騎中四十一騎
であったという。山県隊、馬場隊は甲州軍団の花形であった。

1

与力、同心一同

 山県隊で采配御免の衆 (二十回以上の手柄を立てた事がある)および若手覚えの衆 (信玄より直接感状もらった武士)

早川幸豊

広瀬美濃守景房

三科肥前形幸

飯田某

西巻監物

古畑伯耆守

ふたつぎ弥右衛門

猪子才蔵

小菅五郎兵衛忠元

孕石源右衛門泰時

曲淵正左衛門吉景

ふたつき源三郎

三井某

渡部三左衛門

川手文左衛門良則

北地五郎左衛門

和田加助

石黒将監

今福求馬介

長坂宮内左衛門

川原伝兵衛

志村宮内丞光家

辻弥兵衛盛昌

鳶二位

こち某 (古地、小知)

尾崎某

久保勘左衛門

越石主水

小崎三四郎

ひげなし外記

長坂十左衛門

1

山県三郎兵衛尉昌景

山県氏

武士の心得

合戦

火踊りと昌景・設楽原合戦

装備品

山県姓襲名と兄の謀反

義信謀反事件

山県大弐

火踊り

関係した史跡

与力、同心と三郎兵衛に関する逸話!

甲州一のへそ曲がり

与力、同心、相備え衆

三郎兵衛!危うし!

公事方訴訟事件

広瀬美濃守景房