古レール調査日誌(2001年)

1st wrote at 2000.7.1


2001年を振り返って【12月31日(月)】

 お正月は帰省の予定なのですが、年賀状書きやら何やら手惑ってしまってまだ、さいたまに居ます。本当は東海道本線(在来線)を古レールでも見ながら、のんびり下る計画だったのですが、夕方の新幹線で、紅白に間に合うかどうかというところでしょう。
 さて、2001年ももう終わりですが、病気(メニエール病)が完治できなかったことが最大の悔いでしょうか。最も昨年末や一昨年末の同時期の体調を思い起こせば、ずいぶん快方したものです。来年中には元の体 (^_^; に戻れることでしょう。
 古レール的には、日本でのレールが製造開始から100周年を迎えましたが、その最初の年のレール、官営八幡製鉄1901年製が見つかることを祈っていたのですが、これは無理でした。
 などなど、個人的には今年いいことが少なかった1年でしたが、連絡がとだえていた中学、高校時代の親友(彼は年賀状を出すのが嫌いと言っていたので、互いに住所がわからなかった)が、私のホームページを発見し連絡してきました。これは良かった出来ごとの一つでしょう。


さそうあきら『神童』【12月19日(水)】

 友達に薦められて、さそうあきら氏の「神童」という漫画を借りて読みました。彼の作品は、いまいち絵が好きじゃなくて目を通していなかったのですが、結構面白かったし、絵が好きじゃないと思っていたのも食わず嫌いであったことなどもわかり、要するにハマりました。

 作中いくつか駅のシーンが出てくるのですが、ピクニックで出かけた「白久駅」は「秩父鉄道白久駅」そのもの。なんて言ったって、駅舎に古レールが使われていましたから、そのデザインはよく覚えています。それから、交響楽団が練習に使っているという鉄道会社の工場は、大井工場ですね、工場までの通路の古レール利用の跨線橋や工場正門横のクモハ90(クモハ101)もちゃんと描かれています。でも練習はあの食堂?(私はカレーを食べたぞ)、これが事実だとちょっとかわいそう。工場の大きな建物の方が音響が良さそうです(でも安全帽必要......?)。
 そんなことで、丁寧に現地取材をしたことがわかる点でも、好感を持ちました。

 でも私に最もウケたのは、最後の方でメニエール病にかかって、もがき苦しむ主人公の姿でした。その苦しさがよく理解出来る反面、しょせん人ごとですから、そこは私には嘲笑的に読めました。

PS. 私の耳は普通に聞こえていますので、ご心配無く。


敵は我に有り【12月5日(水)】

 中学校の時ですが、運動部の顧問に連れられて、元プロ野球選手の講演を聞きに行ったことがあります。タイトルは「敵は我に有り」。ところで、この選手、のちにプロ野球チーム(そう言えばリンクが....笑)の監督になりましたが、奥さんが脱税容疑で逮捕されて、監督辞任だそうですね。

 講演タイトルは、そのままご本人にお返ししたいところですが、むしろ伝えたいのは朝日新聞社です。朝日新聞といえば、前にも京福電鉄での鉄道事故に関して天声人声で厚顔無知な記事を書いていたので、客観的事実に基づき批判してみたことがあるのですが、今度はアエラです。
 記事は、アエラ2001年12月10日号71ページの『men's magazine walker 鉄道ジャーナルの巻●その2 要するに「列車追跡」ってずっと乗ってる続いてる』で評論家●斎藤美奈子という署名があります(なんて引用しにくいタイトルなんだ)。この記事では、鉄道車両の記号、「モハ」とか「サハ」とかをチェックすることを邪喩しています。鉄道車両でこうですから、駅の柱を調べてまわっている人など、さぞかし人格異常者と言われそうです。

 でも、これって本当に邪喩に値する行為でしょうか。今私は病院に通院していますが、お医者さんは私の症状をいろいろ問診して、カルテに独自の言葉でメモしていきます。私の仕事に関連して言うならば、崖一つ観察して専門用語で記していくのに1日かかったりすることもあります。次やってくる大地震がいつなのかを目的に行なう活断層の調査では、長さ5〜10m,高さ2〜5m程度の土の層を1〜2週間もかけて観察&スケッチします。ある分野に詳しい人がその内容を詳しく書くなどということは、ごく自然なことで、自分の無知を棚に上げて邪喩するのはおかしいと思います。逆に邪喩されたことを理由に作業を放棄されても困りますよね。

 こんなこともわからずに、庶民の−−などと権威を笠に着て、ペンを剣のように振りまわすのは辞めて頂きたいものです。本当の敵は、鉄道車両の記号を調べる人ではなくて、他人のことを理解する努力を怠った上に、薄っぺらな自分の価値感だけで安易に他人を攻撃する自分(記者)自身であることを自覚してもらいたいものです。

PS.こういう反論を書かせるのも計算の内で、私は御釈迦様の腕の中の孫悟空に過ぎないのかもしれません(そもそも、そういう雑誌だもんね、だから反論投書などしない)。でも、庶民の言論をタナゴコロで遊ぶ行為自体がジャーナリズムの本分なのでしょうか。


文鎮づいた1日【12月1日(土)】

 先日の北千住の件で連絡を頂いたのは、現地の工事関係者の方だったのですが、この方が私のページを見て価値を認識されたとのことで、なんと常磐線南千住駅のホーム上屋に使われていた古レールをスライスして販売しているそうです。
 さらにメールでうかがったことによると、スライスの作成をしているのは、私のすぐ近所の工房だとのこと、お招きを受けて、いろいろ見せてもらってきました。また、自分で買わせて頂いたスライス(BARROW STEEL .... 1894. N.T.K.)のほか、たいしたことをした記憶はないのに、御礼と言うことでもう一枚のスライス(UNION D 1986.N.T.K.)までもらってしまいました。本当、お世話になりました。

 さて、その足で先日東急ハンズでサイズを間違えて買ってしまった商品の交換に出かけました。重いものだった(一応、断っておくけどカナトコではないよ)ので車で出かけ、近くのサンシャインの駐車場に止めました。商品は無事交換したのですが、駐車場代を浮かせるには、2,000円以上の利用が必要とのこと。仕方が無いので、サンシャインの中にある鉄道グッズの店に立ち寄ってみたところ、「鐵道五十年祝典記念」が破格の値段で売りに出ているじゃないですか(多分、間違い無く DARLINGTON IRON の1870か71年製)。しかも美品。ということで有無を言わさず、私のものになりました。

 さて、今日一日で入手したレールをスライスした文鎮、何枚 (^_^;。


北千住駅上野方の跨線人道橋【11月17日(土)】

 最近、風邪をこじらせたりして、古レールの調査も行っていませんし、元ネタもないのでウェブページの更新も滞っています。

 さて、今日は久しぶりに一念発起して、常磐線北千住駅の上野方にある古レールで作られた跨線人道橋を見に行ってきました。ここは、随分前に一度訪れている(写真撮影せず)のですが、常磐新線の工事に引っ掛かりそうな位置なので、もう撤去されたと諦めていました。ところが、もうすぐ撤去されますという内容のメールを頂いたものですから、見に行ってまいりました。

 件の跨線橋は、付替えのもの(と言っても仮設)が完成しており、すでに使用停止でした(以前来たときに渡っているので、私個人としては問題無し)。さらに線路の中の橋脚部分もH形鋼のものに差し替えられており、元の姿は失われていました。ただし、北側の階段部分は古レールで組まれたものが残っていましたので、ここだけ写真を撮って帰りました。


祝 日本製レール100周年【11月16日(金)】

 ちょうど100年前の今日、1901年11月16日のこと、官営八幡製鉄所にて鉄道用レールの圧延が開始されました。今日で日本製レールは100周年を迎えることになりました。

 当初は、60ポンド(30kg/m)第2種レールから始まり、現在は国内向け60kgレールのほか、海外輸出用のもっと大型のレールまで多数が圧延されるようになっています。
 一方、その上を走る鉄道車両のほうから見ても、世界初の200km/h超の営業運転に始まり、270km/h域での快適な乗り心地、最高時速300km/hの新幹線を産むに至りました。
 実に劇的な100年の軌跡に思いを馳せるとともに、お祝いしたいと思います。−−ということで、タイトル画像も変更しています。


自衛隊の派兵について【10月30日(火)】

 政治ネタですが、鉄道を含めた公共交通の関連で考えたことなので、声を上げることを御許し下さい。

 米多発テロの報復攻撃を行っている米軍の後方支援を行なうための法案が国会で成立したようですが、私個人としては、この法律に反対します。反対の理由の一つは、この法案に反対した諸政党と同様なものですが、もう一つあります。前者は多くの人によって、一笑に付されており、今さら私が蒸し返してもしょうがないでしょうから、後者を述べたいと思います。

 多発テロ以来、飛行機に乗る際の荷物の検査が一段と強化されました。私は出張先で現場の作業があるので、工具類を荷物として持ち込みますが、チェックの対象となってしまい困惑しています。特に帰りは、汗と泥にまみれて発酵すら始まっている作業服などもあって、鞄を開けて他人に見られる検査は、非常な精神的苦痛です(今日も某地方空港でひっかかった)。
 自分の乗る飛行機がテロの被害に合わないためには、仕方の無いことでしょうが、飛行機の荷物の検査体制が強化されれば強化されるほど、相対的に危険になる新幹線も不安です。

 テロリストから見れば、今のところ日本は標的のうちに入っていないかもしれませんが、自衛隊が米軍に協力することにより、日本が敵戦国と認識されてしまうことが最も心配です。高層ビル破壊に始まった今度の「NEW WAR」は、前線での戦闘以外に国内がテロの被害を被る危険があります。自衛隊が外に出ていったばかりに、国民の生命が危険にさらされるなんて、馬鹿らしいことにはなって欲しくないのです。


"RAIL" カレンダーって?【10月23日(火)】

 会社の帰りのこと、接続が悪く駅で電車待ちをしていたところ、KIOSK で売っている SL & RAIL カレンダーというタイトルが目に留まりました。
 カレンダーの題材として、SL はまだ良いとして、レールは如何なものでしょうか(笑)。レールカレンダーってもしかして、月の表示が縦棒になっているとか (^_^;。せめて、KROLFUTA の四角マークにしてもらいたいものです。

 もちろん、ここでのレールと言うのは鉄道車両のことでしょうけど、鉄道のことを車両も含めて 「rail」と呼んでしまうことが日本では多いようで、以前から気になっています。辞書を調べると「rail」という単語には、確かに鉄道(利用)と言う意味も含まれているようですが、鉄道全般を差し示すなら、「railway」(英語),「railload」(米語)を使う方が正確ですし、鉄道車両は「rollingstock(s)」になります。

 個人的には、某鉄道会社のウェブページの「rail collection」というタイトルなどが結構気になります。確かに最初のオークション品は古レールでしたけど、レールのコレクターというのもねぇ....。


CAMMELL SHE"FF"IELD【10月14日(日)】

 都内の日比谷公園で開催されている「鉄道フェスティバル」に今年も出かけてきました。古レールに関すると、昨年は「BARROW STEEL」と「Dortmund UNION」を展示していたJR貨物のブースでは、今年もやはり門司機関区から出た「CAMMELL STEEL」が展示されていました。売り物のレールとしては、昨年は上信電鉄が「UNION 1922」を売っていましたが、今年はいくつかの会社が30kgレールのスライスを売っていたに留まりました。しかもASCEっぽかったので触手は伸びませんでした。が、広島電鉄のブースでHTレールを売っていたのを見つけ、買ってしまいました。「ハイティレール下さい」と言われて、ハイと出す方もどうかと思いましたが、ラベルには「HT」としか書いていないのに、「ハイティー」と呼んでしまう、私もどうかしてます。

 ところで先に紹介した、JR貨物の「CAMMELL STEEL」ですが、私は、このレールを見てショックを受けました。地名シェフィールドの綴りを「SHEFILED」と間違えて覚えていたことに気が着いたからです。手元にあった写真や通勤ルートの十条駅にある CAMMELL などを慌てて確認しましたが、「SHEFFIELD」とFが重なるのが正しい綴りでした。確かにこの部分が鮮明に読めることは少なく、今までも何となく文字数に違和感を持っていましたが、自分の勘違いであったとは情けないです。古レールのページの方も急ぎ修正しました。


ついに東田第一高炉に到達す【10月7日(日)】

 なぜに九州まで出かけたかと言うと、八幡製鉄所の跡地で開催されている「北九州博覧祭2001」の企業パビリオンとして、新日鐵八幡製鐵所の条綱工場のラインが公開されており、レールの圧延過程を実際に見ることができるからです。ただし、レールの圧延は毎日やっているとは限らず、その予定も直前にならないとわかないということです。昨日の予定を非常にルーズにしたのもそれが理由でした。
 さて、この日は、@niftyの鉄道フォーラム専門館のオフライン・ミーティングでレール工場を見学しようと私が幹事で参加者を募りました。総勢4人での見学となりました。

 レール工場の方は、午後から37kgレールの圧延を実際に見ることができました。行程を半分くらい終わった時点で、赤熱してはいますが、すでに37kgレールの太さと形になっていたのは、なかなかの感動ものでありました。工場の見学行程では、新日鐵の社員(OB?)さんが案内係として付いてくださり、こちらの細か過ぎる質問にも、いろいろ答えてもらいました。また、併設されているレールの歴史を学べる映画なども、午前中に貸し切り状態(ライン停止のため、工場見学は無かった)で見せてもらいました。かなり迷惑な集団だったと思いましたが、パビリオンの方々には、都度懇切丁寧に対応して頂き、大変感謝しております。

追伸:山手線鶯谷駅官営八幡製鉄所1902年製レールのことを報告したのが私です (^_^;。本当に撤去となりそうです。

 もう一つ忘れてはいけないのが、静態保存されている東田第一高炉です。1901年に官営唯一の製鉄所として解説されて以来、鉄を作り続けてきた高炉です。もちろん、最初の国産レールを初め、この高炉で得られた銑鉄から作られたレールは多数あったことでしょう。非常に感慨深いものがありました。今は記念公園として整備されており、出銑場などは人形を配して雰囲気も復元されています。


久しぶりの個人旅行【10月6日(土)】

 出張で山口まで出かけているのを利用して、この連休に九州を旅行?することにしました。ここ数年体調を壊していたので、個人旅行などと呼べるものは本当に久しぶりでした。宿は、いつも出張で泊まっているようなビジネスホテルでしたが、次の日の仕事の段取りを考えなくて済むということに非常に開放感を感じました。永らく感じたことの無かった感覚です。
 この日は、朝に小郡(現:新山口)を出発して、夕方小倉に到着するという日程で、観光地など立ち寄らず、鈍行の旅と古レール観察を満喫しました。
 参ったのは、安佐駅下関駅(の真ん中のホーム)で、発車ベルの代わりに使われているメロディーが首都圏の私の通勤路線のものと同一だったことでした。あのメロディーを聞いていると、はやく電車に乗らなければというプレッシャーを大いに感じてしまい、古レール観察の集中力が欠かされます。条件反射ですね。それにしても、これらの駅では発車以外にも列車の入線の時にもメロディーを使用してくれます(ある意味、正調な鳴らし方です)ので、なかなか堪えました。


久々にホームページを更新【9月29日(土)】

 ここのところ毎週のように山口県へ出張しています。その影響で止まっていたホームページの更新を久しぶりに行ないました。出張自体は、体調不良のリハビリ半分で根を詰めずにやっているつもり(でも、仕事となるとなかなか、サボれない)で、近場の古レールを見たり本山支線にクモハ42に乗りに行ったりもしています(乗車証明書ありがとうございました>宇部鉄道部の方)。


EH500 に何度目かのチャレンジ【9月23・24日(日,休)】

 古レールで出来た鉄道構造物観察記の白金桟道橋のコーナーに白金桟道橋をくぐって、山手貨物線を行くEH500 牽引の貨物列車の写真を使っていました。ところが、この写真は冬期に撮影したもので、日陰(掘り割り+ビルの影)が延びているのが不満でした。そこで、夏に一度再撮影を行ったのですが、露出ミスで使えない写真となってしまいました。
 いよいよ秋分の日ということで、今後の影の長さが気になります。そこで連休の中日の23日に出かけてみました。が来ませんでした。日付を考えるとウヤ(運休)の公算が高そうです。そういえば、EH500 が写った最初の1枚を撮るまでも、随分何度も通いましたので、すでに何回目でしょうか?。悩ましい列車です。
 悔しいので24日も通ってみました。今度はうまく撮れました。しかも山手線との並びもバッチリです。


京急久里浜工場(京急ファインテクス)に行ってきました【8月25日(土)】

 今日は、夏休み最後の土日ということで、各地で基地の公開などがあったのですが、昨日辺りから体調も回復してきたようなので、京急の久里浜工場に行ってみました。あそこまで出かけたついでですから、京急の未乗区間でもあった、浦賀方の末端部分と逗子線に乗車。京急の古レールも見てまわりました。
 帰りは、地下化も計画されている大師線に乗車すれば京急は完乗になるので、そのつもりだったのですが、横浜駅でちょうど大宮行きの武蔵野線経由のホリデー快速(私の自宅は武蔵浦和です)の時間だったので、それで帰ることにしました。乗り替え改札を抜けたものの、ホリデー快速は何番線かよくわかりません。暑い中をあちこち、調べるはめに....。でもどうしても、よくわかりません。出発予定時刻が近づいてもよくわからなかったので、駅員に尋ねたところ、いろいろ調べて今日は運転していないとのこと。体調もいいぞと思っていたのですが、それもここまで。一気に疲れました。

#東海道本線(非横須賀線)のホームで良かったと思うけど....。

 この体調で、東京からの夕方の京浜東北線に乗るのは辛いです。そこで桜木町まで出て(イオカードは入場券代りには使えないため)、東急東横線で帰ることにしました。渋谷からの埼京線なら座れますからね。結果、噂の東横特急にも乗車し、東横線の各駅に古レールが全く?見られないこともわかりましたが、埼京線は予想以上に混んでいて、楽に帰る計画は失敗に終わりました。


それでも混んでる御茶ノ水【8月22日(水)】

 今日はメニエール病の治療のための通院日でした。そのため帰省は昨日までの予定でした。ところが、東海地方を台風11号が直撃するということで、20日に帰京してしまっていまっています。
 とは言え夏休み中なので、いつもは会社から行く飯田橋の病院まで、新宿経由での直行となりました。昨日は東海地方に居た台風11号ですが、速度がたいへん遅く、本日首都圏再接近です。いつもは人で埋まった感のある新宿駅も、今日ばかりは閑散としていました。
 その閑散状況から、いつもは混雑のために調査を自粛していた中央線の各駅の古レールを調べるなら、今日をおいて他になしと判断しました。実のところ体調も引き続き良くなかったのですが、病院の帰りに古レールの調査を無理矢理決行することにしました。
 ところが御茶ノ水駅は、快速線と緩行線の同一ホーム乗り替えに加えて、駅の乗降客も多く、何よりもホームの幅が細いために、常時、電車待ちの人とホームを移動する人で、今日もごった返していました。この天候だというのに意外でした。普段はもっと混んでいるのでしょうね。

補遺

 翌23日に技術士第二次試験を受ける予定でしたが、体調は回復せず、最後のツメの試験勉強も全くできない状態だったので、今年の技術士試験はパスすることにしました(あきらめたから、御茶ノ水なんかに立ち寄ったりしています)。試験に向けて、外出(古レールの調査)を控えたりして体調を整えることに尽くしてきただけに、受験断念は悔しい選択ともなりました。


近江【8月20日(月)】

 遅い夏休みをとっています。体調不良の休養や23日に技術士第二次試験を受けるつもりなので、誘惑の少ない実家(滋賀県米原)で静かに送る夏休みの予定でしたが、体調がもともと良くない上に、夏風邪をこじらしたらしく、布団の中での生活が続いてしまっています。今日は、気分転換というかリハビリというか、隣町の彦根まで出かけたついでに、GWにチェックしていた近江鉄道の溝付きレールの架線柱の写真を撮ってきました。
 さて彦根というと、今年の夏の高校野球には、地元の近江高校が出場して、この日何と準決勝戦です。さきほどの外出は、その高校のすぐそばを通った上に、カーラジオで試合中継を聞きながらというものでした。試合には勝って、なんと決勝進出です。 すなわち甲子園は1年に1試合しかないことが多い。そんな滋賀県勢にしてみれば大変な快挙です。私は近江高校のOBではありませんが、実家から最も近い高校でもあるので、大変嬉しいです。


新日鐵君津に行ってきました【8月4日(土)】

 君津市のお祭りに合わせて行なわれた新日鐵君津製鐵所の一般公開に出かけてきました。このホームページを作る過程で、鋼のことをいろいろ勉強した(つもり)のですが、実際を見たことがない。ということでの探訪でした。
 見学は、プラスチックのリサイクル工場と鋼板の熱延工場で、敷地内はバスでの移動でした。世界一巨大の Linux マシンとの噂のある第3高炉も見たかったのですが、こちらは外(バス内)からの案内もありませんでした。また楽しみにしていた場内の専用鉄道はチラリと見えただけなのが残念でした。
 熱延工場ですが、熱延過程を見たのは初めてで、その迫力と熱量に圧倒されました。特にラインの最終段階で、鋼板が鉄道車両ほどの速度で突進する姿がインパクトがありました。
 ちなみに、今、新日鐵八幡製鐵所へ行くと、北九州博覧祭2001の関連でレールの熱延が見学できるそうです(→現在のレールメーカー)。
 帰りに蘇我駅で古レールを見て帰りました。総武本線・内房線の各駅では古レールは壊滅状態でした。


7月は調査ゼロ【7月31日(火)】

 気温と小泉総理の支持率の高さが目立った7月ですが、終わってみれば、古レールの調査はゼロ(実は6月初め以来ゼロ)。こちらの数量は横ばいです。
 調査が進んでいないので、ホームページのデータの更新も停滞気味です。この間、逆にデータが増えなかった分、古レールの解説部分で気になっていた文章の大幅改訂ができました。また、滞っていたリンクの採集もいくつかできたので、程よい休憩といったところでしょう。


頑張れ!小野伸二【7月14日(土)】

 わが浦和レッドダイヤモンズの小野伸二のオランダのフェイエノールトへの移籍が決定しました。
 本物の伸二のプレーは市内の駒場スタジアム(レッズのホームスタジアムです)での試合で何度か見たことがありますが、その日本人離れした巧さには、毎度感嘆の声を漏らしておりました。きっと、オランダでも大活躍をしてくれるものと期待しています。
 さて移籍先についてですが、一時(今年の正月頃?)はドイツ・ブンデスリーガーのドルトムントが有力とされていました。あのドルトムントということで、移籍決定の折りには、ホームページの扉写真を記念もの(レッズのJ1昇格の時に、「作った」ことがあります)にしようと決めていました。候補の写真も選んであったのですが、結局オランダと言うことで、個人的にはちょっと残念です。
#だって浦和駅には、UNION ないのだもの....。


暑い暑い暑い【7月11日(水)】

 いやぁ、暑いですなぁ。もう梅雨明けだそうです。ここのところ毎日インターネットで天気図をチェックしては、梅雨前線の動きをチェックしていたのですが、ここ1週間ほど消滅していました。実質的には梅雨明けはもっと早かったのではないかと思っています。
 この暑さは、決して健康とは言えない私の体には、かなり堪えます。ここのところ症状が改善されてきて悦んでいたのですが、調子は逆戻りです (x_x)。
 古レールの調査のほうは、今更ではありますが、さいたま市の誕生を記念して、さいたま市全駅調査完了をもくろんでいるのですが、こんな状態ですので、調査は当分お預けのようです。


「珍品レンズ」が壊れて【6月23日(土)】

 前回(6月9日)、人道跨線橋を見てまわった帰りのこと、持ち歩いていたカメラバックが、電車の急なブレーキの衝撃で激しく倒れるという事がありました。帰宅後、カメラをいじっていたら、装着してあった GN Nikor 45mm(Ai改)というレンズのヘリコイド(ピントのリング)が重くて回らない事態に陥っていました。どうも先の転倒の際にレンズを真下にして倒れ、衝撃で壊れてしまったようです。このレンズは、Nikonの一眼レフ用レンズの中で最も全長が短いほか、スピードライトのガイドナンバーを設定してピントリングをまわすと、絞りリングが連動して動き、該当の絞りとなるという特殊機能を持ったもので、プレミアが付いている「珍品レンズ」でした(特に純正Ai改は珍しい)。それだけに故障のショックは大きいものでした。
 そこで、川崎の関東カメラサービスまで修理依頼に出かけてきました。せっかくですので、鶴見線大川支線のオーストラリア製レール利用の踏切りや、『レールの趣味的研究序説〔下〕』で古レールの入門に好適とされた総持寺踏切跨線橋も探訪してくることにしました。
 最初に訪れた大川支線の踏切りは顕在でしたが、総持寺踏切跨線橋は架け替えられていました。いろいろ歩きまわって疲れた後、関東カメラを訪ねると、なんと GN Nikor の修理は、部品が無いため不能と言うことでした。
 大川支線の踏切りと言う成果はあったものの、全体としては、骨折り損のくたびれ儲けの感が強いものとなってしまいました。猛暑の中歩きまわった反動もどっと出て、疲れました。

後日補遺

 件のレンズですが、関東カメラにさじを投げられたのなら....、と開き直って、自分で分解してみました。部品のちょっとした折れ曲がり程度なら、矯正してやればなんとかなると踏んでの分解でした。結構ヤバそうなところまで分解して組み直してみると、症状が改善されているじゃないですか。ヘリコイドのところにグリースを塗り直して再度組み直すと、元の状態に戻りました。単に油切れだっただけなのかなぁ。


古レールの刻印の内容【6月16日(土)】

 ここのところ、古レールでできた建築物探訪記など、本編以外の執筆ばかり進んでいました。ところが本編の「3.2 古レールの刻印の内容」に説明不足が少なからずあり、気になっておりました。
 これ以上、ウソを放置したまま他を充実させるのは良くない。ということで、この文章の大幅改訂に着手しました。試行錯誤のあと、刻印されている各事項について、いくつかのグループに分類できることに気が付き、これに沿って説明文の順序の入れ替えや新規項目の説明文の書き加えを行ないました。その結果、既往の古レールに関する資料と比べても、ずいぶんすっきりした整理になったと自負しています。
 それにしても上記の大項目ですが、いわゆる5W1Hに相当するようなものとなりました。古レール(ものによりますけど)の刻印はそれだけで文章になっているのですね。刻印を読むのが面白いのは、それも原因であると発見しました。


白金桟道橋再訪問【6月9日(土)】

 恵比須の行き付けの靴屋に通勤用の靴(アルカという店です。自分の足にあった靴やその中敷きを作ってくれることで有名です)を新調しに行ったついでに、目黒の白金桟道橋と原宿駅南方の跨線橋を訪ねてきました。
 白金桟道橋は、お昼に山手貨物線を「ねり歩く」ことで有名な EH500 牽引の貨物列車を入れた写真を撮りに行っています。しかしながら以前探訪したのは冬至に近い時期で、周囲のビル影のため、写真の出来に不満があったので、影の短くなるこの時期に再探訪しました。ねらいはばっちりで、影はほとんど出ていませんでした。今年12月からは、この線を使って大宮−横浜の列車の運行が計画されているらしいので、そうすると昼間の貨物列車は武蔵野線なりに追いやられる可能性大です。となると今が最後のチャンスかもしれません。
 原宿駅南方の古レール利用の跨線橋は、当然人道跨線橋だと思っていましたら、ミニパトが渡っていくじゃないですか。その後、普通車が恐る恐る渡っていくのも目撃しました。道路標識によると2tまで大丈夫なようです。さすがに自動車が通れるよう下部構造には補強がしてありました。


飛鳥山下跨線人道線など【6月3日(日)】

 昨年12月31日に鉄道完乗を果たした友人が、上京のついでにタイトル防衛(埼玉高速,ゆりかもめ,りんかい線)に行くと言うので、一緒に回ってきました。
 午後、ちょっと時間が空いたし、カメラも持っていたので、京浜東北線王子駅南方にある飛鳥山下跨線人道橋を探訪してきました。全体像の写真については、境界柵が高かったり、王子駅のホームからは架線ビームがやかましかったりと苦労させられました。
 そのあと、さらについでということで、日暮里駅南方の人道跨線橋や鶯谷駅の官営八幡製鉄所1902年製のレールなどを写真に撮ってまわりました(行程上はバック,ちゃんと再入場しましたよ)。
 帰りに、東十条駅北方の人道跨線橋にも寄ってみました。ここは古レール製の人道跨線橋の下部構造がよく観察できましたが、日が暮れてきたのと写真を撮り終えていたので、再度日を改めて探訪することにしました。


メニエール病でえらい、すんません【5月22日(火)】

 結局3月4月に無理して働いた分、メニエール病の諸症状がひどく、GW前後も含めて、ほぼ1ヶ月寝込んでいましたが、今月の中頃からようやく回復してきたようです。GWに遊び歩いたのも良くなかったのでしょうけど (^_^;(悪いのはひかり号という説も)。今は違和感は残っていますけど、なんとか日常生活を取り戻しています。

 ということで、ここのところメールの返事や資料を送っていただいたお礼などが遅れてしまい、すみませんでした。


犬も歩けば【5月5日(休)】

 昨日、摂津富田(実際乗り替えたのは高槻)へと向かう新快速の車窓から、JRで言うと彦根−南彦根間で併走している近江鉄道の架線柱に段付きレールか溝付きレールと思われる黒色をした鋼製らしきものが使用されているのを見つけていました。これらについては、『レールの趣味的研究序説〔再補・下〕』に記述が有り、いずれ見に行かなければと思っていたのですが、実家(米原)からもそう遠くないところに存在していたということで探しに行く手間が省けそうで助かります。
 などと考えていましたが、今日の午後ダイエー彦根店を訪れたところ、駐車場の向こうに黒い棒が立っているではありませんか!。早速近づいて見てみると、近江鉄道の架線柱で、溝付きレール(PHOENIX 製)を再利用したものでした。おととい、昨日と古レール三昧していたので、今日はもういいと思っていたのに、やっぱりレールを見つけてしまった自分がちょっと悲しいです。

 結局、この日遅くの新幹線で帰京しました。名古屋から乗り替えたひかり号は、久しぶりに通路まで立ち客びっしりの超混雑列車で、不安定な姿勢を強いられ、疲れました (x_x)。


双頭レール三昧【5月4日(休)】

 帰省中、突然思い立って、どこかへ古レールを見に行くことにしました。レアなレールが集まっているという近鉄橿原神宮前駅も候補としましたが、結局、双頭レールのホーム上屋が残っているという東海道本線摂津富田駅と山陽本線金光駅を探訪することにしました。

 まず摂津富田駅です。上りのりばと下りのりばの両方の大阪方のホーム上屋の支柱は、すべて双頭レールでできていました。支柱はレール2本を組にしたものでしたが、一般的な平底レールと違って全体形状が四角形に近いので、ずいぶんすっきりした感じがします。
 さて刻印のほうですが、塗装が厚くて、読めそうなものがありません。1本づつ確かめて、なんとか文字らしきものが見えるものを見つけました。字は塗装で潰れてしまっていましたが、伊東線来宮駅で見た平底レールの DARLINGTON 製のものと字配りがそっくりであることから、同社製であることは間違い無さそうです。結局、1時間ほど見てまわりましたが、それ以上鮮明なものは見つけられませんでした。
 ということで、断念して移動することにし、丁度電車もやってきました。ここで最後の抵抗とばかりホーム上屋を見上げると飛び込んできたのは「70」の文字でした。梁に使われているレールに刻印が後半部分ですが読み取れました。さらに見るとこの隣の梁で前半部分も読めるものが見つかりました(下りのりば外側線側中ほど)。合わせると、

?AR??NGTON IRON Co70 IGJR
となります。DARLINGTON IRON の1870年製双頭レールですから、日本最初の鉄道である新橋−横浜間で使われていたもののようです。

 この後2時間かけて新大阪までの各駅の古レールを調査し、新大阪から次の目的地金光を目指して岡山まで新幹線を利用しました。こだま以外の早いのでと切符をとると、やってきたのは500系のぞみでした。日本最初の鉄道のレールを見た後で乗る 300km/h の世界は、ちょっと変な感じです。

 岡山からは在来線の普通列車を利用して金光駅へ。金光駅では下りホームの中ほどに双頭レール利用のホーム上屋が残っているほか、鉄道院の名の入った鋼製支柱の跨線橋も見れました。ここの双頭レール利用のホーム上屋の各レールは、塗装が非常に厚いようです。ウェブ部分に至っては重ね塗りで厚みが増している印象すら持ったほどです。当然、刻印は1つも読めませんでした。薄っすら見えるものもありましたが、字配りは DARLINGTON ではなさそうに見えました、かといって CAMMELL でもなさそう(日本で確認されている双頭レールの製造元は DARLINGTON と CAMMELL だけのようである)でしたけど......。

5月5日補遺

 自宅へ帰宅後『鉄道考古学を歩く』を見直すと、金光駅の3つ先の笠岡駅にも双頭レールがあることが記されていました。こちらは私の記憶に無かったため、探訪できませんでした。悔やまれます。もっとも金光駅には双頭レール以外にも、かなりの数の古レールがあって、見終わる頃には日も暮れかかっていましたから、調査は無理だったと納得することにしました。(古レールの調査とは別に個人的な関心から)岡山電気軌道も訪ねたかったのですが、こちらも諦めていましたので、合わせて再度探訪したいと思っています。


日本往来・東海道ウォーキング?【5月3日(休)】

 GW後半は、実家の米原へ帰省することとしました。せっかくですので、帰省の道すがら古レール調査です。今回は、『レールの趣味的研究序説〔再補・下〕』にまとめられている御殿場線で試験使用されていたレール達である
  1. 御殿場駅のKRUPP製S49レール(鉄まくらぎとともに試用)
  2. 吉原駅のWENDEL製仏規格46kgレール(鉄まくらぎとともに試用)
  3. 静岡駅展示の鉄まくらぎ
  4. 掛川駅のTENNESSEE製90ポンド(45kg)ARA-Bレール
を確認することを目的としました。1.の御殿場駅には古レールのホーム上屋は既に無く、3.は(若い)駅員に聞いたが所在不明、4.は日没時間切れで探訪を断念しました(過去に用事で利用した際にホーム上屋に古レールがあることは確認しています)。
 2.の吉原駅の46kgレールですが、これは多数現存しており、今回唯一の成果となりました。


さいたま市になったけど【5月1日(火)】

 浦和市に住んでいたつもりだったのですが、今日から与野市・大宮市と合併して、さいたま市になったみたいです。
 まわりの人は「さいたま市」と言って、はやしてくれましたが、私を含め多くの市民は冷ややかに眺めているようです。合併に関しても市名の決定に関しても、市民の意思を確認する場が設けられなかったことから実感が湧かないというのが正直なところでしょう。

 しかし今回の合併に関して、外から見て浦和が大宮に吸収されたと見られている点に関しては、旧浦和市在住の私から見れば納得いきません。大宮なんて、日本鉄道が、先に開通していた上野−熊谷間の鉄道から東北方面への路線の建設にあたって、たまたま分岐点に .....(不適切な発言となるため、以下自粛)。

参考資料:『さいたまの鉄道』,埼玉県立博物館 編集・発行,1999年.


高崎線吹上にて【4月29日(日)】

 3月からGW直前が仕事の山場だったので、深夜残業するは、休日全部出勤するはで、メニエール病が悪化して体調ボロボロです。ここのところ会社にも行けず寝たきりの切ない生活を送っています。
 寝てばかりも体に良くないので、気分転換と言うか、リハビリというか、ちょっと外に出てみようということで、高崎線の吹上まで出かけてきました。吹上駅には、レンガ造りの危険品庫があった、駅前に碓氷峠のラックレール再利用の側溝フタがあったということが書籍等に記されており、これらの現存を確認するのが主な目的でした。
 危険品庫は無くなっていましたが、ラックレールは残っていました。他の鉄道用レール同様に刻印が入っているなら、ホームページでも紹介してみようとも、もくろんでいたのですが、刻印は無しでした。
 帰り道、断面帳のテストがてら、高崎線の各駅のホーム上屋の古レールを見てまわりましたが、国産品の60ポンド第3種主体で面白味に欠けました。


断面ゲージ帳を作る【4月28日(土)】

 ここ数年GWは飛び石が多く、休日出勤で潰れていました(そんなことしてるから、メニエール病なんかになるんです)が、今年のGWはスケジュール通りに休めそうです。
 ということで、GWを控え、レールの断面形に合わせてカットした型紙からなる断面ゲージ帳(『レールの趣味的研究序説〔補遺〕』の最後に紹介あり)を作りました。構想は随分あったのですが、体を壊したり、仕事が忙しかったりで、なかなか実現できていませんでした。

 とりあえず、ホームページの方に代表的なレールの断面の形状を載せた際に、図版のレールを実物大に拡大コピーした際に各所の寸法の誤差が最も少なかった、『軌條及附属品』と『新日鐵のレール』を参考に60ポンドの第1種〜第3種,37kg ASCE,50kg PS・N,60kg をとりあえず作ってみました。

5月5日 補遺

 断面帳ですが、最初のものはシロが不十分で、実物に、はまらないというトラブルに見合わされました。何度か実物と付き合せた後、数mm余計にカットしたところ、しっくり、はまるようになりました。60ポンドの各断面が一発で見分けられる(第2種と第3種の違いは微妙だが、断面帳を使えば何とか区別できる)ようになり、革命的な進歩に感じます。


秩父鉄道寄居にて【3月23日(金)】

 最近ご無沙汰ですが、生きております。メニエール病の改善が進んでいない上に、仕事が忙しいので、余暇時間のすべてを睡眠時間に費やす生活をしているからです (T_T)。

 さて3月23日のこと、出張で秩父市まで出かけました。ところが大宮駅に着いたところ、高崎線は赤羽での線路内公衆立ち入りのため10分ほど遅延のこと。コンコースでは乗車しようとしていた普通列車が10分遅れでやってくるとの放送、熊谷での乗り換え時間を計算しても間に合いそうなので予定通りその列車に乗車することにしました。ところがホームで待っていると、列車はいつまで経ってもやってきません。実はコンコースの放送が間違いで、当該列車はダイヤ通りに出発済みらしいことがわかった時は、間に合ったはずの新幹線も出た後でした。
 結局、後からきた快速アーバンで熊谷まで行きましたが、こともあろうか乗るはずの秩父鉄道の列車が発車して行くのをJRのホームより目撃 (T_T)。次の秩父鉄道は1時間後と言うことで、タクシーで先程の列車を追い掛けることに(この時点で4分遅れ)。寄居まで走ってもらいました(走らされた?)が、結局出発7分後。出張経費とは言え、6000円近くも払って結果が同じとは悲しいものでした。

 寄居でもほぼ1時間の待ちがありましたが、ここは開き直って古レール観察\(^_^;/。出張荷物両手に秩父鉄道のホームのホーム上屋の古レール(ほとんど東武の初代モノだった)を観察。全部見終わったタイミングで列車到着と有意義に電車待ちができました。結局のところ、思わぬところで古レールを見る時間ができて美味しい思いをしてしまいました。
 なお出張の方は遅れてしまいましたが、早く着かなければいけなかった問題点にお客さんも上司も気が付かなかったおかげで、ダメージは0でした。


メニエール病と診断される【3月7日(水)】

 昨年来、体調不良に悩まされていたのですが、ここ暫く天と地がひっくり返るようなひどいめまいに見舞わされていました。そこで、インターネットでいろいろ調べてみたところ、三半器官の異常で起る「メニエール病」という病気が自分の症状に良く似ていることがわかり(実は、うすうす怪しいと思っていた)、病院もこれまたインターネットで調べて、その病気の専門家がいる東京厚生年金病院(飯田橋)を受診してきました(「■便利ページ」が役に立ちました。→ リンク集)。
 予想通りで「典型的なメニエール病」と診断されました。メニエール病は、自律神経の異常から三半器官内のリンパ液の圧力が上昇した結果、平衡感覚を喪失し、フラフラしたり、目が回ったりする病気だそうです。要するに、毎日が振り子電車(381系)に乗っているようなものです(意味不明)。治療には十分な休養が最も効果的だそうですが、今の私の本業(ノルマ多すぎっ。しかも年度末が一番忙しい)では、ちょっと無理そうです。

後日補遺

 処方された薬もよく効いているようで、ひどいめまいからは、開放されるようになりました。診断は正しかったようです。ただし、十分な休養がなかなか採れないので、その後の病状の改善は進んでいません。ただ、原因がはっきりした分、気は楽になりました。


千年の京にありて【3月6日(火)】

 鉄道ピクトリアル2001年4月号増刊「千年の京にありて」(京都大学鉄道研究会編)を入手しました。期待していたのは、西野保行氏の古レールに関する記事でした。「レールの趣味的研究序説」から既に四半世紀、古レールの年代と対比しても十分な時間が経ってしまっていましたので、どのような新しいことが書かれているか楽しみでした。
 記事(「レールの標記を鑑賞する」,p.110-114)の方は、氏が集めてこられた古レールの刻印の拓本集でしたが、いゃあ奇麗、奇麗、たまりませんなぁ。内容の方は、一般的なものからレアなレールまでまんべんなく採用されている印象を持ちました。文章中には、私の知らなかった事項もいくつかありましたので、折を見てホームページの方も直したいと思っています。
 乾湿を問わず拓本にも挑戦してみたいと思っているのですが、なかなか時間が許してくれません。同誌の「湿拓の採り方」(p.115)は、良きアドバイスとなりました。それにしても、湿拓はずいぶん面倒そうです。かえって足が遠退いてしまったような気も....。


便利ページ【2月24日(土)】

 インターネットで提供される便利な諸情報へのリンクを集めた「便利ページ」(→リンク集)というのを見つけました。文字どおりなかなか便利なもので、一目で気に入りました。
 ところで、このページの利用方法を考えていると、私のホームページにも同様の利用をされて困ったものがあることに気がつきました。この下にある「西暦−年号早見表」です。早見表が「便利ページ」にあれば便利ですし、私のところへ迷い込む人も少なくなるでしょうから、「便利ページの」の管理者さんに早見表掲載の提案とサンプルとして私が作ったものを(著作権を放棄しますと書き添えて)メールで送りましたところ、採用していただけました。

 さて「便利ページ」の西暦−年号早見表ですが、神武皇紀(紀元)にまで言及しています。これは古レールの八幡製鉄の皇紀入りレール(西暦1941〜1947年,一部の1948年製)のための解説の名残りだったりします (^_^;。


検索エンジンに憤慨する【2月11日(日)】

 以前、いくつかの検索エンジンにこのホームページを登録していたのですが、どうもその検索リストから除外になっていたようなので、再登録をしてみました。
 ここへ来て登録が完了したらしく、1日20人くらいの見学者が来てくれるようになりました。それまでは1日4〜5人程度でしたので、あまりの増え方に疑問を持ち、アクセス統計のCGIプログラム(→リンク集のHPの作成・保守で使用)を駆使したところ、大半が西暦−年号早見表がお目当てであったらしいことが判明しました。
 西暦−年号早見表は、私のページの利用者のために作ったものですので、検索エンジンから検索できないおまじないの「<meta name="robots" content="noindex">」をHTMLファイルに書き込んでいたのですが、どうもある有名検索エンジンではこのおまじないが機能していないことがわかりました(しかも、激増した見学者はこの検索エンジン経由でした)。(怒)
 私としては、おまけが本編よりも人気が出るのはシャクです。この検索エンジンの検索リストから、私のページに関する部分を削除することも試みたのですが、これもできないことが判明し2度目の憤慨。結局、この検索エンジンの検索リストから西暦−年号早見表が除外するまで、早見表のページを削除することとしました。復活の際はページタイトルに安易な利用を遠慮してもらう警告を出すなどの工夫をしたいと考えています。


鉄道80年のあゆみ【2月10日(土)】

 神田の古書店で、『鉄道80年のあゆみ』という書籍(A4横置き)を入手しました。1952年の発行ですから約50年前のもので、日本国有鉄道発行で非売品とのことですから、関係者に配ったものではないでしょうか。
 購入したのは、第3章 施設 の 2.線路 の 1.軌条 がお目当てでして、鉄道開業以来のレールの変遷が具体的な数量も入れて解説されているのが気になったからです(この部分のページは1.5ページ)。また、PS型のレールについて、「ペンシルバニアシステム」とカタカナ書きされており、PSが何の略なのかが判明しました。
 そのほかの部分も、写真やグラフ(このデザインがまた秀逸)が多用されており、資料的価値は高いと感じました。一方で、東京−大阪を8時間20分かけて走った列車を超特急と(真顔で)呼んでいるなど、カルチャーショクな部分も多数ありました。この本の内容を検証するだけで、面白いホームページが作れそうです。


東急世田谷線と小田急の古レール【2月4日(日)】

 世田谷線のホーム上屋が全面更新されるという噂を聞いて、昼から、世田谷線のホーム上屋の古レールを見てきました(廃止間近の旧型電車は目的ではないという邪道っぷり)。KROLHUTAGHH が出てきて、西武っぽい感じでした。
 世田谷線で夕方まで過ごす予定だったのですが、思ったより早く見終わってしまったので、小田急代々木八幡にあるという N がひっくり返しになった、NTK(日本鉄道)発注の KRUPP(情報源:@nifty 鉄道フォーラム専門館鉄道歴史談話室)を見に行くことにしました。
 世田谷線で山下に出て、すぐそばの豪徳寺駅から代々木八幡へと向かう事にしました。が、豪徳寺駅は高架化工事のまっただ中、ホームには古レールのホーム上屋となれば古レールを見ずにはおれません。豪徳寺をはじめとする小田急の古レールは TENNESSEE と八幡(官営八幡製鉄日本〜八幡製鉄)ばっかりで、実に単調でしたが、組み合せがシンプルであるゆえに途中で嫌になる事なく、小田急の古レールを新宿に向かって全駅見てまわる事になってしまいました。
 代々木八幡では、目当ての KRUPP のほか、探していた紀元2608年の製造年の入った八幡のレールも発見できました(後で調べたら、@nifty で既報でした)。


1月は古レール全く見れず....【1月31日(水)】

 ここのところ古レールのデータが増えていません。最後に古レールを見たのが、正月の帰省から帰ってきた時に、東京駅の京浜東北線南行線のホームの端にある旧荷物上屋部分のレールを数本見たのが最後ですから、ほとんど調査が進んでいないというのが現状です。

 これは、土日に積雪となる事が続いたため調査を自粛した事や、休日出勤が多かった(省庁再編のあおりと成人の日が8日だったことが遠因?)ことが原因となっています。同様の条体は、しばらく続きそうです。


恨(ハン)の国の青年の死に思う【1月28日(日)】

 先日26日の金曜日の夕方の事、JR山手線新大久保駅で、酔っぱらっていてホームから転落した男性と、この男性を助けようとした2名が電車に礫かれるという痛ましい事故が起きました。このうち1名は韓国出身の留学生青年だったとのことです。

 コリアンの方が日本の関係を語る時、忘れてはいけない言葉に「恨」というものがあります。これは、日本人の言う「うらみ」のように「呪う」の意味は含まないようですが、死んでも忘れないみたいな深い意味を持つ言葉だそうです。日本は戦時中に朝鮮半島を併合して、数々の占領行為を行ってきたと言われており、これに対して「恨」という言葉がよく使われているようです。一方で日本からは、戦後もこれらの行為について十分な反省はなく(日本側には、占領行為が無かった事を正しいとする意見まであります)、恨を埋める努力が行なわれていないという意見もあるようです。

 にもかかわらず今回の事故では、恨を乗り越えてコリアン青年が名も知らぬ一人の日本人を助けようとしたわけです。これらの背景を考えると、単なる美談で終わりにしてはいけないと私は感じています。
 一応、近代の歴史に関するホームページを開設しているものとして、コリアンと日本の関係、特に戦時中に日本が何を行ったかについて、これを契機に皆さんにも思いを馳せていただければと願っております。

 最後になりましたが、お亡くなりになられた方々の御冥福をお祈りしております。

追伸:27日の事故が発生した時間、私は帰宅の途上(調子が悪いので早めに帰った)で、3つ隣の池袋駅で埼京線の電車を待っていました。乗るはずだった電車から、この事故の影響で運転見合わせになってしまいました (x_x) 。


国土交通省誕生【1月6日(土)】

 省庁再編により建設省や運輸省などが合併して、巨大省庁の「国土交通省」が誕生しました。運輸省の起源は、鉄道省などを合併してできた運輸通信省を1945年5月に改称したものの様です(「古レールに見られる発注者」参照)。その誕生時も巨大省庁だったのでしょうね。

 ところで私の会社では、旧建設省関係の仕事をしています。「古レールのページ」なんぞを開いても旧運輸省系なので関係は無いと思っていたのですが、一緒になってしまいました。利害関係等のトラブルがちょっと心配です。お客さんとの関係(HPタイトルに誤解を感じる人はいるはず)を心配した会社から、ホームページの公開に圧力がかかる可能性があるからです。言論の自由ですか?、日本の会社に憲法は存在しませんから....。


21世紀到来【1月1日(月)】

 あけましておめでとうございます。
 21世紀がやってきました。子供の頃は夢のような存在だったのですが、いつの間にかやってきました。ふと気がつけば、2本足で歩く機械や質問すれば答えるコンピュータ(正確にはインターネットの検索エンジン)などもできていて、昔の夢は現実になっていたりするところが面白いです。

 さて、古レール的にはこの日を待ちわびていました。というのも、今日を境に2世紀前の19世紀の古レールというのが大量に発生するからです。新世紀を迎え、古レールの価値はますます高まるのではないかと感じています。


→ これより古い調査日誌
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